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人生反面教師
人の振り見て我が振り直そう

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最近の映画放送

TVで映画を放映する番組枠が有るが、どうも最近は邦画を放映する事が多い様だ。
洋画を楽しみにして居ると邦画が始まるので、個人的にはガックシだ。
アメリカ映画を見慣れていると、日本映画の作りにどうも違和感を感じてしまう。何か、イタリアとかフランス映画の様な、見終わった後に厭~な雰囲気を残してしまう。
無論これは個人的見解であって、別段邦画放映反対を叫んでいる訳ではない。
恐らくは、
「日本で放映する映画番組なのだから、洋画を放映する割合が大きいのはおかしい」
とのナショナリズムから、有志が日本映画を放映し始めた処、他局も其の流れに乗り、夫れが主流となってしまったものか。

或いは単純に、日本映画界を盛り立てようとする監督連が頑張って映画を連発するので、TV局側も様々な損得勘定からか「日本の映画界も頑張っているんだよ」と云う状況を必要以上に喧伝する為に、ミーハーな視聴者が「日本映画が流行っている=流行っているから観よう」と云う事で映画館に足を運ぶ。「映画館が儲かっている=TVの宣伝の効果が出た」と見たTV局は、流行ったからには視聴率を取ろうとばかりにこぞって映画放映枠に日本映画を持って来る様になったか。

ま、いずれでも構わんし、ナショナリズムに端を発した事であるなら猶更結構な事であると言える。
「日本をラテン化したい」等と宣う女優や、反日役者が多数出演する様な某特定アジア国家の映画や、亦は其の国の歌手の作品ばかりに金をかける連中の無思想振りに較べたら遥かに結構な事だ。

併し、日本映画を放映するのはいいのだが、如何せん、あんまり面白くないのが玉に瑕だ。
「エコエコアザラク」と云う映画(未見だが)を制作しただとか、するだとか言ってた時期に、製作者裏話の様な形で出て来た話だが、日本はこういったファンタジー映画に金をかけられないのだそうである。つまりスポンサー側が「幼稚な映画は売れない」として、金を出したがらないからだと云う。
「スターウォーズ」「マトリックス」級のSF映画を日本映画に期待するのは無理そうだ。

金をかけるかけないの問題ではなく、作り自体がイマイチなのがアクション映画か。それも格闘物。
香港映画などでは伝統的にクンフー物が育つ土壌に在ったろうから、当然喧嘩のシーン等は見応えがあるし、アメリカ映画もジャン=クロード・ヴァンダムの映画等は、見せ方が上手い。日本はどうかと云うと、チャンバラシーンは「水戸黄門」の様な廉価版モードから、「隠し剣、鬼の爪」の様なハイグレードモードの物迄、やろうと思えば幾らでも出来よう。だが徒手格闘のシーンでは、千葉真一の様な本物の空手家で且つ映画用にアクションをアレンジ出来る器用な人間がやらない限り、非常に陳腐であると言わざるを得ない。
「少林少女」等は其の最たるものか。
別段役者の能力が低いと言っている訳ではなく、全員中国拳法の素人と云う処からオカシイと云う意味でである。数ヶ月やそこいら仕事の傍らに練習したからといって、直ちに少林拳の達人が演じられようとは思えない。演じさせられた方も可愛そうだ。
「少林少女」はアクションが陳腐であるだけでなく、其のストーリーも非常に陳腐だ。
80年頃から始まった「香港功夫映画最盛期」世代が見ると、何と内容の無い話かと思う。「少林サッカー」の雰囲気を出したいが為に作っただけかと思う程、ストーリーに見るべきものが無い。

亦、観ればそこそこ面白いのかも知れないが、題材的にトホホである事が多い。
バイアスがかった様な比較の仕方で申し訳ないが、極端な比較をすると、アメリカ映画では先にも出た「スターウォーズ」「「マトリックス」「ターミネーター」。SF以外でも「Mission Impossible」「007」「ランボー」等、非常にスケールのでかい映画が多い一方、日本映画では舞妓に憧れる男の話「舞妓は~ん」、男子高校生がシンクロナイズドスイミングをする「ウォーターボーイズ」、乳を見せて貰う事を目標に高校生が頑張る「おっぱいバレー」、田舎の高校生と駐在さんのイタズラを描く「ぼくたちと駐在さんの700日戦争」など、内容は兎も角、スケールのトホホな事。

そりゃアメリカ映画でも、スケールの小さな話はあろう。スケベ男が女がらみでバカをやる様な三流コメディ映画がそうだ。素人連中がフィギュアスケートをやろうという映画だとか、「なんとかリボウスキ」だとかいうのもそうだが、こういうのは矢張り売れないし、TVで放映するにしたって夜中の二時頃始まったりする。
スケールが小さいといえば「ミザリー」もそうか。片田舎の一軒家の室内。キチガイ女が男を監禁し、身動き出来ない様に男の体を切断したりする。
マイケル・キートンの「マイ・ライフ」もスケールが小さい。末期癌の男。生れて来る息子に父親として色々な事を教えてやりたいが寿命が無い。そこで父親として教えるべき事を、ヴィデオに残して死んでゆく。
スティーヴン・キング物も、片田舎の出来事を扱った物が多く、スケールは小さい。其の他一軒の建物内での話としては「ジュマンジ」「死霊のはらわた」「ホームアローン」「キューブ」等が挙げられようか。

これ等はいずれも日本・アメリカで一流の制作陣が作った、一流の作品と言っても良いだろう。
一流の「スケールの小さい」映画同士で較べた時、観たいと思わせるアイデアや映像の要素が多いのはどちらだろうか。(「ホームアローン」は兎も角・・・)

一方、日本映画でも、スケールがデカそうなのが「真夏のオリオン」。
潜水艦が海中で困る話だが、どっかで聞いた様な内容な様な気もする。今更アメリカでこの題材を扱うかと云うと、余程のアイデアが無い限り扱わないんじゃ無いかと思われなくも無い。
金をかけるとアイデアで二番煎じ三番煎じ気味になってしまう様だ。アチラを立てればコチラが立たず。
併し、小説なら「これは映画化したら面白いんじゃないか」と云う物があるが、内容が面白いだけでは映画化されない様だ。
日本映画とは、原作が売れているか面白いかよりも、監督が「飽く迄個人的に」面白いと思った、亦は一般人には理解し得ない芸術的・専門的な理由に因って制作意欲を掻き立てられた場合に限って作られるものなのだろう。
金がかけられないなら、せめて奇抜なアイデアでいって欲しいものだ。成功例は「デス・ノート」か。
未見だが「死神の精度」等も、基本的な発想は興味を惹くものがある。
「たそがれ清兵衛」シリーズは、これは原作というより、映画化するに際しての作り方のこだわりでの成功例だろう。

私見だが、どうも最近の日本映画には内容的に惹かれる設定の物が尠い様に思われ、反面そうした映画に限って人気の俳優を起用する事によって興行的にそこそこの成功を収めて居る様な気がする。
客を呼ぶ要素として、起用した俳優・女優の人気の占める割合を大きくするのではなく、映像やアイデアに比重を置いて作るのなら、日本映画を観る気も、大いに起きて来ようと云うものなのだが。



TVで日本映画の放映率が高くなったのもそうだが、レンタルDVDの原語設定が最近はハナから日本語にされているのも戴けない。大きな御世話だとしか言い様が無い。
「どうせ日本語で聴くんだろう」
と云う決め付けをするんじゃない。
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  1. 2009/06/04(木) 00:20:01|
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