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人生反面教師
人の振り見て我が振り直そう

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変な言葉を真似するな

TVで頻繁に使われる言葉を容易く日常会話に用いてしまう風潮が、数年前から気になって居た。
尤も、私が気に成り出したのが数年前だと云うだけであって、そうした風潮は恐らくTVが一般家庭に普及して以降、常に有った事なのだろうが。

兎も角も茲数年で気になった最初のHITは、「コラボ」と「モチベーション」であった。
「コラボ」と云う言葉は一般人としては普通使うまい。「田中さんと尾形さんが」コラボ等とは云うまい。
必然、個人でも有名人か、或いは企業間でしか使うまいが、それも今になって殊更意識的に使うべき言葉でもなく、かなり以前から何と無く目にした、耳にした言葉である。
だが何かで此の言葉が陽の目を見たきっかけが有ったんだろう。以来頻繁に使われる様になった。
それはまあいいだろう。「●社と△社がコラボした」等と、使いたければ使うがいい。依然一般人には縁の無い言葉だ。
だが夫れを、「コラボの意味は?」等と会社の昇格試験の問題に使う企業が有るのはお笑いだ。
一躍流行った言葉だから、企業間の提携関連の話では必ず此の語を使えと云う事か?
流行ったから?
どうも出題の仕方が、
「今流行ってて、出題者たる私は此の語を知っているけれども、御前等は知らんだろう?」
みたいな語調であったが、したり顔で左様な問題を今更出題する人間自体が、若しかして今迄其の言葉を知らなかったのではないのかと疑わせる。


「モチベーション」
どうも「看護師」にしてもそうなのだが、私は世間で急に「言い方」が変わった事に気付かないフシがある。
気が付いたら「看護師、看護師」と病院で目や耳にするので、よもや「看護婦」と言ってはいけなくなったんじゃあるまいなと思って居たら、果たしてそうであった・・・等と云う事が多い。
「看護師」自体は、元は何処のヒステリーが言い出したのか知らんが、結局法律で定められてしまった。随って公的な場では使わざるを得なくなってしまったのだから仕方が無いのだが。
扨、或る時話していた相手が、急に「モチベーション」と云う語を用いた。
偶々直前に読んでいた本に同様の語が用いられて居り、其処では「動機」と訳されてあったのを憶えていたので、話している相手と話が噛み合わなくなった。併し段々聞いたら「やる気」の意味であると云う。サテも難解な語を日常会話に用いるものよ・・・と感心していたら、以降社内各所でもTVでも、しきりに此の語を耳にする様になった。
調べたら、此の語自体は日本でも70年代から使われていた模様である。初めの私と話していて「モチベーション」と使った相手も、後で聞いたらかなり以前から普通に使っていた言葉だったらしく(実際かなりのインテリだ)、私の耳に入れたタイミングが偶々時期的に悪かっただけだったらしいが、兎に角此の言葉は「流行ってる」。
私が読んでいた本に此の言葉が使われていたのも、今にして思えば「流行っていた」からなのだろう。本の出版年は2003年である。
流行っているのを知った後に社内で夫れを口にする者達を見るにつけ、トホホと嘆息せずには居られなくなった。
「遣り手」と称される社員が、真面目な顔して朝礼で(千葉辺りの気障なイントネイションで)「モチベーションを上げて」なんぞとやると、解り易く流行の用語を用いているだけだとも取れるが、最近知った言葉を、さも自分だけが使いこなせている様な気分で使って居る様に見えなくも無く、莫迦を晒すなよと助言したくなる衝動を抑えるのに精一杯な私である。


「加齢臭」も同様だ。
是は先ずうちのカミサンが使った。「おんや?何処かで聞いた様な言葉だが・・・」と一瞬語意を計り兼ねたが、比較的意味を類推し易い言葉であったので、其の場は話を合わせる事が出来た。
次に同僚の家族がその語を使うと云う話を聞いた。
さあ是以降、TVで聞くわ聞くわ。
調べてみると此の語は、2000年に資生堂か何処かが造った新語らしいが、これまた何かで今になって陽の目を見た言葉だろう。
特に女が好んで使う様な観が有る。
是も「モチベーション」を「インテリを気取って使う」のを避けたいのと同様、「専門用語」、或いは「難しい言葉」を、「私は使いこなせてます」風に使うのは避けたい言葉だ。
今ではバカでもチョンでも使うからだ。


「アラフォー」
「40歳前後」と云う意味から拡張されて「40代」と云う意味にも使われる。
「アラウンド・フォーティ」略して「アラフォー」。
そう云う言葉が有ってもいいんだが、「必ず使わなくちゃならない」と云う様な強迫観念染みた使い方をするのは如何なものか。
TVで喋る人がそうなのはまだしも、客(芸能関係者の対極に在るのは飽く迄『客』だ)というか堅気の人と云うか、つまり一般人迄がそうした強迫観念に突き動かされる様に使うのも、日本人の右へ倣え体質が露呈して居る様で見苦しい。


「相当」
「相当」と云う言葉を使うケースを考えると、

自分が進もうとする前方に延々と続く道を見て、
「こりゃ(目的地まで達するのに)相当かかりそうだな」
引越し屋がこれから運ぼうとする重厚な家具を見て、
「こりゃ相当重いぞ」
クイズに次々と正解してゆく人間を見て、
「あいつは相当勉強したな」

等の使い方が思い付く。
これらは、「正確な量は判らないが、大きな量だと思われる」場合に使われている。つまり、長さを測った訳でもなく、重さを量った訳でもなく、時間を計った訳でもないが、敢えて計測を実行に移す前に程度の甚だしい事を予測して言う訳である。

ところが、最近はこの言葉の用法を捻じ曲げて使おうとする向きがあり、その影響で、流行言葉だからと無思想にも真似していた人々が、本当に間違えて使い出した観がある。
こういった用法だ。

長時間歩いて、
「あ~、相当疲れたよ」
旨い物を食って、
「うわっ、相当美味しいよ、これ」

自分の足で歩いて、どの位疲れたか判らんのか。
自分で食っておいて、どの位旨いか判らんのか。
「相当」は、どの程度か不明な場合に使うのだ。


「がっつり」
「しっかり食べる」などの「しっかり」に代用する他、どんな用法が有ったかパッと思いつかなかったので、ちょっと調べてみたら、どうも元々この言葉は北海道の方言らしい。
「たっぷり」「しっかり」「十分」「思いきり」「思う存分」
に代用する例が検索されたが、これが元々北海道での用法そのままに一般に使われているのなら、左程問題無いが、現在広く使われている用法が、元々の用法より広い意味に拡大されて使っているなら、
「何でもかんでもソレかい!」
と苦言を呈したい。
仮に元々の用法が「たっぷり」「しっかり」「十分」「思いきり」「思う存分」の全てをカヴァーする用法だったとしても、本土の人間が他人様の地域の方言を真似する事によって、元々の表現法が失われてしまう様では情けない。
北海道の人はそれでニュアンスが伝わるから、表現のヴァリエーションが少なくなってしまったとしても地域限定であれば赦されよう。併しそれを日本全国で真似し出した事によって、
「ソースをたっぷりかけて、しっかり食べなさい。食べ終わったら思う存分遊ぶなどして、思い切り羽根を伸ばしてね。」
の全ての表現が失われ、
「ソースをガッツリかけて、ガッツリ食べなさい。食べ終わったらガッツリ遊ぶなどして、ガッツリ羽根を伸ばしてね。」
としか表現のし様が無くなってしまうのでは困ってしまう。


「サプライズ」
「驚かす」。原語では「急襲」等と云ったニュアンスでも使うらしいが、昨今日本(のメディア)で多用されるのは、内緒でいきなりプレゼントする等の「いい意味での驚き」ばかり。
これも基本的には「アラフォー」でのコメントと同様だが、使い方として偏った意味でばかり使い、然もそれが流行っていると云う現状を、英語を母国語にしているか、さなくば母国語に近い状況で話している民族が知った場合、如何にもこの言葉が最近日本国民に認知された様で情け無い。


「ぶっちゃけ」
カミサンに拠れば、此の言葉はドラマで木村たくや氏が使ったから広まったんだそうだが、ネットで調べたらナインティナインの岡村氏が火元らしい。
余りに皆が頻繁に使うので、こちらも、同じ意味の言葉を元々はどう表現していたか忘れてしまう程だ。慥か「ぶっちゃけた話」程度に使っていた様な気がする。
横山やすし氏はこうした場合、「正味の話」と表現していた。
ちゃんと言うとしたら「有体に申さば」か。
此の様に、夫れ迄違った表現を用いて来た我々ですら、元の言葉の使い方を忘れてしまう程である。況や是から言葉を覚える子供達は、元の正しい言い方を知らずにいきなり「ぶっちゃけ」は「ぶっちゃけ」だと認識してしまうのである。親はこういう言葉を覚えようとする子供の姿を見たら、先ずは「本当はこう言うんだよ」としつこく、身に沁みる迄教え込んでおかないと、後々恐ろしい事に成ってしまうとの認識で居たいものだ。


「~ぢゃね?」
2ちゃんねる風に書くとこうなのだが、御分かりになるだろうか。
何処の若造が言い出したのか知らんが、こういう事を声を大にして言い出すのは若年層だろう。夫れをTV関係者が無理矢理TVで広めようとする。TV出演者達も真似をするが、彼等の大半は恐らく初めに是を言い出した若輩者よりも年長だろう。年長者が何処の馬の骨とも知らぬ若輩者の真似をして不名誉に思わんのか。
扨こうした事をTV出演者達が遣り出すと、TVを見ている大半の人間は、是がナウいと思い込む。併し是は元々茨城のイントネイションを真似たものだとの説が有る。
どうだか知らんが、昔は北関東の人間を、東京の人間は莫迦にしていたもんじゃないのか。今だって根本の處ではそうだろう。
それが一説に過ぎんが北関東のイントネイション説の根強い此の言い方を東京人が真似するのだ。別にいいけど。
だが矢張り一番見苦しいのは、いい母ちゃんや父ちゃんが真似をする。亦は、北関東の人間が逆輸入で是を真似る。と云う事だろう。そのいずれもが、
「自分は現代人だから、自然にこうなってしまうのだ」
風の顔で言っているのが見苦しい。


「うざい」
今迄「うざったい」と言っていたんなら、若造の変な言い方を真似するな。
因みに「やばい」と云う言葉。
東海道中膝栗毛の中で登場人物が、「あいつはヤバな奴だ」と云う様な使い方をしていたから、元々「ヤバ」は有った言葉で、江戸弁か何かだったのだろう。「危険な奴だ」と云ったニュアンスか。それを恰好付けて現代人が「やばい」と言い換えたが、其の時には「おっといけねえ」「まずいなこりゃ」程度の「やばい」に変化していた。其処から意味が拡大し、「あいつヤベえよ」となると「あいつは危険な奴だ」と云う事も意味し出し、何の事は無い、元の意味に戻っていたりするから面白いものだ。


「すごい」
「すごい大きさだ」はいいが、「すごい大きい」はダメだ。「すごく大きい」だ。


「ありえない」
「有り得ない」と云う表現は昔から有ったが、無論「現実には(理論的には)存在し得ない・起り得ない」と云う意味で使うものだ。併し最近のミーハー達の用法では「かなり・結構」と云った程度の事柄にも、恰も形容動詞の様に使ってしまう。
例を挙げれば「かなりデカイ顔」にも使うので、面倒臭い事に、使用する際には「ありえない大きさの顔」と言い換えて使う必要が有る。
面倒臭いのも去る事乍ら、これも子供達が大人に成った時のこの語の使い方に大きく影響してしまいそうなのが怕い。
また、外国メディアからインタヴューを受ける様な立場の人間が、外国メディアのインタヴューに答える時に、調子に乗って(日本人向けのアピールでしかないが)こんな表現を使ったとしたら、「ありえない」を英語に直訳して字幕を作成しようとする向こうの人間も訳が解らなくなる事必至だ。
似た表現に「チョー」と云う表現が80年代後半か90年代初頭から使われ始めたが、これもそもそも、特定の事柄が「通常の状態」から「MAX前後の状態」になり、更に極稀に「それ以上の状態」になった場合のみに使っていた言葉だが、現在では「通常の状態より若干上回る程度」にでも使ってしまう。


「俺的には・私的には」
「個人的には」だろう。
「それは彼的に駄目らしいっすよ」等と使う。
亦、例えば「軍事的な」「科学的な」「経済的な」等、「~的」と云う言い方を一般に使う語と、似た様な意味乍ら「~の様な」と表現する語があるが、そんな区別も一切無しに何でもかんでも「的」を付ける。
恐らく従前なら「~的」を付けた方が知的に聴こえるだろう的な発想であったものが、最近は「~的」を付けた方が垢抜けて聴こえるだろう的な、従前より更にトホホな方向への打算に変わって来ているのが嘆かわしい。
其の裡北京語風に「好的」「別的」とか言い出すんじゃないか。


最後に関西圏の言葉を使う他地域人。
「こういうゆったりした時間を・・・」と言うのに、「こういうまったりした時間を・・・」と表現する奴があるが、本当にそういう用法でいいのか?解ってて言ってんのか?


関東人なのに「おれら」「わたしら」を「うちら」と言う。「うちら」と云うのは女言葉だろう?御前等男も女もじゃりんこチエか!?
母ちゃんを「おかん」と言い、「滅茶苦茶」を「めっちゃ」「めちゃめちゃ」と言う。
「遅せぇ!」「臭ぇ!」を、「おそっ!」「くさっ!」と言う。
「カチンと来る」を、関西の漫才師の真似だろうが、「イラッとする」と言う。
挙句の果てにはイントネーション迄テキトーな関西弁風を用いる奴がある。
其の事で何か得があんのか?カッコいいのか?
「何故か私関西弁出ちゃうんだよね~(´-`)」
とでも言いたいのか?そんなワケねえだろう?
「ヤンキー」ではなく「ツッパリ」若しくは「不良」と言え。
「ぶたまん」ではなく、「肉まん」と今迄通り言えんのか。
拳銃は「チャカ」ではなく、「ハジキ」だ。


同じ様に琉球の言葉も真似する必要は無い。
ゴーヤじゃなくて、苦瓜だろう。スーパーの広告やPOPに迄「ゴーヤ」と書くんじゃない。
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  1. 2008/05/21(水) 00:37:38|
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