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人生反面教師
人の振り見て我が振り直そう

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販売文句Ⅱ

と或る寝具の広告で、

「『冬あたたかく、夏は涼しい!』
(この製品は)断熱性が高いので、夏は外気の暑さを防ぎ、冬は寒さをシャットアウトします。」

といった内容の文句が有ったが、断熱性が高いのなら、冬は良いとして、夏は布団の中にこもった熱を逃さないから暑い筈だろうに、まったくその事に就いては見て見ぬフリ。
普通、夏は余り掛け布団など使わないが、「夏も使える」事にした方が売れると思ってか、無理やりセールスポイントをくっ付けようとした結果がこれだ。布団の中に寝ているのが死体ででもない限り、夏に布団内部の温度が低く保たれよう筈はない。


さて、「冬暖かい」といえば、布団にしろ服にしろ、「吸湿発熱素材」というのが最近流行りだ。
「湿気を吸って発熱する」んだが、何か未来の熱エネルギー獲得法なのかと思いきや、そうではないらしく、この現象はどんな繊維にでも起きるらしい。
要は動き回っている水分子が繊維に付着してストップした事により、それまで持っていた運動量が繊維に移り、今度は繊維の運動量が増加して温度を上げる・・・といったところか。

この吸湿発熱繊維が何故格別あったかいのかといえば、従来の繊維より表面積を大きくしてあるので、より空中の水分子が付着し易いからという様な説明が有った様な気がする。
御他聞に漏れず、この類の商品の説明文も「水分を吸って発熱します」といった表現に留まっているが、吸った水分がどうなるかに就いては一切触れられていない物が殆どだ。

普通で考えれば、
水分が吸着する→周囲の温度が高ければまた水分子は空中に逃げていく→気化熱を周囲から奪う→周囲の温度が下がる
という現象が起こるであろう事が考えられる。
寒くてしょうがないから、毛布を持って道を歩いている人を家に招き、毛布を貸してもらったが、「もう帰らなきゃ」と帰っていく時に毛布も持ち帰られてしまった様なものか。
んじゃ、絶対に湿気すら逃さない構造の生地なら、水分と一緒に熱も持って行かれない筈だが、そういう事なんだろうか?
ネットを見ていると、それに関して日経だか何だかの記事が見られる。
以下概要。

「水分を吸着して発熱する繊維も、無尽蔵に水分を吸着出来る訳ではない。水分が飽和状態に達すれば発熱はしなくなる。夫れ迄の時間は2~3分でしかない。随って、発熱が行われるのは着用してから2~3分だ」

一方で、吸着した水分を「放湿」して、湿気を内部に溜め込まない発熱繊維があるという。
毛管現象で、繊維(の多分先っちょからか?)から放湿するらしいのだが、エアコンのドレンホースの様に、タラタラタラタラ水滴を垂らす訳でもなし、気体の状態で空中に逃がすのなら、どっちにしたって気化熱分の熱量は持って行かれる筈じゃないのだろうか?

また、こうした商品の説明文の中には、
「気化熱を奪われない様にする為に、保温にも工夫する必要がある」
等と書かれているものがある。
同商品はやはり「放湿性」を持っているらしいのだが、「極細繊維を以て放湿時にも汗冷えを抑えている」という様な説明しかなく、具体的説明が無く、「保温」と「放湿」をどう両立させているのかは不明だ。

尤も、先に述べた様に、着ているのは生き物であって死体ではないので、熱源を水分子の吸着熱だけに頼らなければならない謂われはなく、衣服に保温力があれば自身の体温の輻射熱で温まる事は可能なのだが、発熱繊維に水分子が付着して得られる熱エネルギーと、水分子が気化する際に持って行く気化熱の収支が0になるのだとすれば(脱いで乾かさない限り水分が逃げて行かないほど頑なに水分を逃がさない繊維であれば水分の蒸発による気化熱の簒奪は避けられるだろうが)、「吸湿発熱」で発生した熱は全て持ち去られる事になり、「吸湿発熱繊維」の寝具や衣服を用いる意義は限りなく低いんじゃないかと思うのだが、どうだろうか。

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  1. 2011/10/27(木) 20:38:37|
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POP説明文

小売業というものは、扱う商品に付けるPOPのコメントにも気を遣うものである。何故ならいい加減な事を書いてしまって、クレームになったり訴訟沙汰になったりしてもつまらないからである。
某大手小売チェーン「○○キ」では、しかし余りこの点に重きを置いていない様である。
此処で扱っている商品に付けてあるPOPの文面をちょっと見ていってみよう。


先ずは「風水サイフ」。
何色かバリエーションがあり、そのそれぞれに風水的意味が有るという文面なのだが、それがかなり断定的だ。

「類は友を呼ぶという言葉通り、お金の色である金色、黄色、オレンジ色等を持つ事でその波動が高まり、お金が寄って来易くなります」

もはや世の中の常識でイチイチ説明する必要も無し!といった前提で文章が進んでいるが、「黄色、オレンジ色がお金の色」などと、一体何を根拠に云っているものだろうか。
少なくとも伝統風水の本には、「オレンジが金の色」等と云う事は書かれていないと思うのだが、「伝統風水は本当で、コパ風水だかユミリー風水だかは嘘だ」などと決め付けるのもそれこそ根拠が無い話なのでそんな莫迦はしないが、兎も角も「オレンジがお金の色」等と云う説は凡そマイナーな話で、「初耳だ」という人も少なくないんじゃなかろうか。
何処かの聞いた事も無い新手の風水師が言った言葉でも、「風水師を名乗る人間が言ったら本当」というスタンスである様に見える主張である。
そもそも「波動」とは何だろうか?
オレンジ色の波長(スペクトル)の事だろうか。それが何故「高まる」のだろう。
そういう波長の物を持つ事によって金を呼び寄せる・・・というのではなく、その波長の物を持つからその波長が高まる???
「高い」とか「強い」とか効能を強調する様な表現を短い文面に押し込めようとしたのだが、結果巧くいかずに意味不明な文章になってしまった様だ。
兎に角、風水解説書や風水アイテム屋さんなら、効能表記にそんな断定的表現を用いても、客の方も解ってて来るんだからいいかも知れないし、実際そうした表現をしているものも有るんだろうが、仮に謳う程の効能が見られなくとも、何らかの違反広告表現でつっつかれる覚悟があってやっているんなら構うまい。しかし仮にも罪の無い何千人もの従業員を雇用するホームセンターもどきの店がそんな表現をして、後が心配じゃないのだろうか。


其の弐、「パワーバランス」
今でも「パワーバランス」で検索すれば、それがどんな物かヒットするだろうし、公式サイトも存在する。記憶では2010年に流行った物だ。
○○キでもブレスレット・タイプの物を扱っていて、この会社のネット・ショップでも販売していた。
当時の公式サイトでは、パワーバランスを、
「ホログラムシートが内蔵されています」
という事しか書かれておらず、あとは、「この商品を付けた状態で次の様な体勢をとってみてくれ」と、バランスを要する様な姿勢を示した絵が描かれているだけで、暗に「パワーバランスを着けた状態でこの様な姿勢をとってみてくれ。効果があるだろう?」と言いたいだけのサイト内容であり、別段ホログラムシートに超自然的パワーが入っているだとか、亦は偽似科学っぽい説明が為されているといったことも無かった。
ところが公式サイト以外にこの商品(本物か偽物か不明)を扱う当時のサイトでは、何故かこの商品の説明に、
「体内イオンの電解バランスを維持する」だとか、「最適な周波数でエネルギーが円滑に流れるようにその回路を安定させる」だとか、「体が本来知っている、磁気バランス・テクノロジーを整える」とかいった公式サイトで説明されていなかった様な言葉が並び、結果、
「瞬発力が増大され、スタミナ増強を実現。さらに柔軟性の向上や集中力アップを促す働きをする」
等と、違反広告の基準に引っ掛かるんではないかという様な効能表記をする所が多かった。
で、こっからが問題だが、○○キのネット・ショップでの当該商品の説明が、「パワーバランス公式サイト」の文面ではなく、他の偽似科学風の説明をするサイトの説明文を拝借していたのだ。
もうこの会社のネット・ショップでは扱っていないから、今から探してみても検証の仕様がないが、調べもせずにそういう文面を拝借してしまうテキトーさもウリなのか。
因みにこの会社で売られていたパワーバランスは、公式サイトでは何千円もするのに999円で売られていて、ホログラムシートも本家サイトが言う様な「医療用にも使われるシリコン素材が内臓され」てはおらず、単なる銀紙のシールが表面に貼ってあるだけのものだった。本物かどうかは私は知らん。


其の参、「塩まくら」
○○キの塩まくらコーナーに付いているPOPには、

「東洋医学では、高血圧の人は頭寒足熱とは反対の状態。つまり頭が熱くて足が寒くなっていると考える。
首に塩まくらを当てる事で頭部の血行が促進され、神経の動きが正常になるわけです。
の状態から、頭寒足熱の状態に戻してあげる事で頭のうっ血状態が解消され、血圧が正常になり、頭痛や不眠症などの症状が改善される。
塩まくらを使う事で脳の血流が促進される為、脳細胞が活性化し、全身の老化やボケの防止に役立つ」

といった内容の事が書かれていた。
因みにこれらの説明文は、お店の中のまくらコーナーのPOPには書かれているが、同社のネット・ショップの商品紹介文には載せていない。何か不都合があるのだろうか。
本題に入ろう。
「首に塩まくらを当てる事で頭部の血行が促進される」
という部分、当たり前の様に説明を飛ばして書かれているが、信用してしまっていいものなのだろうか?
先ず「塩まくら」と云うものがどういうものかをパッケージの表面からシゲシゲ見てみると、不織布の中に塩を詰め込んだだけの代物の様である。
これを直接首の皮膚に当てる事によって、生地の隙間から塩が人体に作用するという物なのだろう。塩が皮膚に触れねば話ははじまらんだろうから、生地の隙間から塩が漏れるという事なのか?それともイオンがどうとかいう化け学的効果が、皮膚と塩との空間を通して作用するといったメカニズムなのだろうか?

さて、塩が皮膚に作用するといえば先ず思い浮かぶのが浸透圧だ。
浸透圧とは半透膜の向こうとコッチに濃度の違う液体を用意すると、濃度の高い方に液体が移動するというものだが、人間の皮膚は半透膜ではないので、そう簡単には液体の移動は起こらないらしい。
だが塩の濃度が高いとそれも起こるらしいので(江戸時代の遺体検分の際、検分用に遺体を塩漬けにした場合、人体から液体が流れ出るという記述がある。生体では塩が細胞内に侵入しても排出する事が出来るが、死んだ細胞では塩は入りっぱなしとなる)、首から塩まくらに人間の体液が移動するという事なのだろうか。
だとすると首周辺の水分は減っていき、「血行の促進」とは逆の効果が現れそうな気もする。
逆に細胞に塩が侵入する事もあるらしいが、首周辺の多量の毛細管を含めた血管の中の塩分濃度が高まるから「脳にいい」というのだろうか?しかし血中の塩分濃度が高まると、濃度を抑えようとして体内の水分は血管に集まり、血管の圧力は高まる。それが塩分の摂り過ぎによる高血圧なのだが、これでは上の説明文の「血圧が正常になる」とは逆の症状が起こっている事になる。
更に、そうして血管中の血液の量が増えると脳の血流量は高まるだろうが、一般に頭痛というのは血流がいい時に起こるものらしい(脳神経外科の医師・談)ので、これまた「頭痛が解消される」という説明文が怪しくなる。

結局塩まくらの塩分が、首の皮膚を通して水分を奪い取ってしまうのか、逆に経皮摂取されるのかが不明なのでメカニズムが判らないが、もうちょっと詳しく説明して欲しいものである。「塩が首に触れるから血流がよくなります」では信用の仕様が無い。
ついでに「脳の活性化」と「全身の老化防止」の因果関係についての言及も欲しいところである。飽く迄「脳の老化防止」ではなく「全身の老化防止」に効果が有ると言っている所がミソである。

ちなみにこの商品には、「使用したら一年ごとに交換する事をお奨めします」と書いてある。
塩だから水分を吸ったり、元の状態を維持出来ないからという意味なのだろうが、もう一度使い方を考えてみるに、首乃至後頭部にこの塩の部分が接していないと意味が無い筈であるから、当然まくらカヴァーやまくらパッドを使用してしまってはダメだ。すると、直に塩まくらと接して毎日寝るわけである。
普通のまくらだって、三日も、百歩譲って一週間も使用すれば汚れてしまう筈である。それが厭だからカヴァーやパッドを使用する。
塩まくらの塩を覆っているのは不織布だ。そんな物は洗えない。洗えないから使い続けるが、首や頭部の汚れが付くのは勿論の事、毎晩汗は元より、よだれを吸った塩が一年後どうなっているかは想像もしたくない。

ところで、ネットで「塩まくら」を検索してみると、塩まくらの冷却作用に就いて述べているものが目に付く。
中でも
「塩まくらは温度追従性が低い(頭の熱が塩に伝わりにくい)」
という文章が大量にヒットする。
「追従性」とはどうも技術系の用語らしいのだが、「温度追従性とは」を検索してみても、辞書の様に解説している記事には出会さない。併し「温度追従性」という言葉を用いた技術系の文章を読んでみると、ほぼ文字通りの「追従」の意味と捉えて左程間違いは無かろうと思われる。
結局、「塩は温度追従性が低い」イコール「塩には熱が伝導し難い」という意味かどうかは不明なのだが、この表現を用いているサイトの文章を読み進めると、
「つまり、頭の熱が塩枕には伝わりにくく塩の冷たさが長く保たれる」
と書いてある。
このサイトでは最初に挙げた○○キのPOP同様、サイトの冒頭でしきりに「頭寒足熱」をアピールしているが、では、
「頭の熱で塩が温まらないから塩の温度がいつまでも低く、頭寒足熱を実現する」
と言いたいのかというと、その実文章に「塩の温度追従性の低さ」と「頭寒効果」の間に直接的な因果関係は持たせていないのである。
考えてみればおかしな話だからであろう。
頭の熱が塩に伝わらないのなら、頭の熱は塩まくらと接している頭の一部分との間で逃げ場を失う筈である。逃げ場を失った熱は、結局塩に反射されて頭を暖めるだろう。
皮膚に水がかかって冷たいのは、水が体温を奪った結果、水の温度が上昇するからである。
水が冷たい、風が涼しいと感じるなら、体の熱は水や空気に移っていくのである。
「冷感ジェル」などというものは、熱を体から奪う前も後もジェル状に違いは無いが、恐らく放熱が早いだとか、そういう性質なのだろう。ジェルに体温は伝導するのだ。体温を奪われるから冷たく感じる。ところが塩には頭の熱が伝わりにくいという。
そりゃ熱を吸収しなければ、塩自体の温度は上がらないだろう。しかし其処に接している頭は、熱を吸収してもらえないから熱いままの筈だ。
エマージェンシーブランケットというものがある。アルミ製の薄いブランケットだが、アルミ製、つまり金属だから冷たいかというと、その名の通り非常事態に使用するブランケットで、羽織れば体温(熱)を逃がさずに内側に反射し、体温を保持する為の代物だ。件のサイトの言い方だと、塩まくらはエマージェンシーブランケットと同じ様な効果を発揮するんではなかろうか。




  1. 2011/04/25(月) 00:15:18|
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ディズニーの太っ腹

ディズニーリゾートは、ランド、シー含め、この二十年で五回しか行った事が無いが、こんな私がちょっと当該リゾートを批評してしまおう。
「『夢の国』だから万引きしても何も言われない(噂)」
だとか、
「『夢の国』だからアトラクションに金と労力を惜しまない」
だとか言われるが、どれだけ太っ腹なのか。

先ず入場料。家族四人で二万円もする。無論入場料だけではなく一日アトラクション体験し放題の料金も入っているが、これは高過ぎるんじゃないか・・・・・と思ったが、他の主な遊園地と比べると、左程法外な料金設定ではない事が分かったのでこれはしょうがないか。
只、「夢の国」なんだから、他より逆に安い位の価格設定でも良いのかな?とも思う。儲かってんだから。

さて、こないだディズニーリゾートに向っている時、途中で地元で買った入場券を忘れている事に気が付いた。かみさんが、
「ごめん、チケット忘れた。戻って」
と言うのだが、ウチは北関東で、忘れた事に気付いたのは大宮の辺り。遠いのだ。私は、
「取敢えず此の儘向って、向こうでチケットを買う。地元に帰ったらチケットショップで払い戻して貰えば良かろう」
と提案したが、かみさん曰く、ディズニーはチケットの払い戻しをしないのだそうだ。
そんな莫迦な。事情を説明して話せば解って貰えるだろうから、電話してみよう。という事になった。
で、電話してみると、果たして断られてしまった。
夢の国なんだから何とかならんのか!
と思ったが、実際問題として、一日の入場者数が何千人か何万人か知らんが、そのイチイチに、
「いつもはやらないんですけど、今回は特別ですよ。当社の方からあぁた様の地元のチケットショップに事情を説明して払い戻しさせますから、どうぞこちらに御名前と御住所を御書きになって・・・」
等とやっていたら手が回るまいから、これもしょうがないか。
只、小さい企業ならやってくれそうな事なんだから、それだけの人数を雇えば出来ない事は無さそうな気もするが。「金と労力を惜しまない」んだったら。

ディズニーシーのOPEN時間は1000時だ。併し、「アーリーエントリー」なる制度が有って、ディズニーさんの自分トコのホテルに泊まった人だけが0900時から入園出来るというものだ。
他の入場者は1000時迄待たされる訳だが、一部の人間だけ入場出来るのなら、いっそ全入場者が入場しても対応出来るんじゃないか?と思うのは素人考えか。
「ディズニーのホテルに泊まれば一時間早く入場出来まっせ。へっへっへ」
という付加価値を付けるだけの為に、頑なに「10000時OPEN」をやめないだけなんじゃないかと思うのは邪推だろうか。
まあ私の考えが当たっていたとしても、それは商売だからやって当然か。
「夢の国」にしてはセコい様な気もするが。
因みに、オープン前、0900時頃から並んでいる人があるが、アーリーエントリー云々の案内放送を聴いて、
「こんなに沢山並んでいるんだから、私達も入れたらいいじゃない!」
等と憤慨するおばちゃんが居るかどうだか知らんが、若し居たら、10時オープンだというのに勝手に9時頃から並んでいるおばちゃんの方が悪いのは言うまでもない。

飯の時間。中で飯を食おうとするが、「シー」の食い物屋は、ヤケにメニューが尠い様な気がする。
その中でも選んで食うが、これまた矢鱈量が尠い。ギャル仕様か。はたまた子供向けの量か。「ランド」の方にはバイキング形式の様な店があって腹いっぱい食えるのだが・・。
食い終わって歩き出すと、ポップコーン屋やら何やら、歩きながら食う様な物を売っている売店の多い事。
これは飯屋で食わせる量をセーブさせておいて、買い食いを助長させる陰謀だろうか。
しかもポップコーン如きが高い。最初が容器付きで買わんとイカンのだが、それが千何百円。
一度容器を買ってしまえば後は中身を買うのみだが、中身が匙一杯500円。
一体幾らボるのだ。原価は幾らだ原価は。

最後に「太っ腹かどうか」とは関係ない話。
中で働いている人間は、かなり五月蠅く言われてんだろうが、「笑顔」を絶やさないのが多い。無論、中には無表情で突っ立っているのも居るが、人間として当然だろう。
或る時アトラクションに乗ろうとした際、子供が粗相をしてしまった。その瞬間、また、それを掃除している間の従業員の表情は、何とも名状し難い「しょうがねえなあ」風な表情だった。
彼等の中の「人間」を垣間見た様な気がしたひと時だった。
ところがそれが終わってみると一変、この後どれだけ不機嫌な儘アトラクションを進めるんだろうかと思われた従業員が、人が変わった様なハイテンション、且つ満面の笑顔でアトラクションを進め始めた。
しかも、アトラクション中は無言であるにも関わらず、ずぅ~っとニヤニヤニヤニヤしているではないか。これは不気味以外の何物でもなかった。
ポップコーン屋の販売員にも同じ事が言えるが、彼等の中には匙でポップコーンをすくう俯いた瞬間は無表情になり、こっちを振り向いた途端に笑顔になるのを繰り返すのが居る。
こうして文章にしたのを読み返して想像すると当たり前の接客態度に聞こえるが、また不自然極まりない笑顔だという点を強調しておきたい。
可愛い姉ちゃんが自然に笑う、つまり笑顔の上手な人間なら自然に見えるというだけなんじゃねえかと言われれば其の通りなのだが、普通の店屋などなら、何だかんだ言って笑顔の苦手な奴は「笑顔を絶やすな」等と言われてあっても自然と笑顔は出なくなるものである。それを「夢の国」だからか、強力な接客マニュアルで全員に徹底しようとすると、「危機感を持った笑顔」の持ち主が現れるのである。
「じゃあブスっと接客された方がいいのか?」
等と必ず聞いてくる御仁があるが、笑顔がないのとブスっとしてんのとでは違う。愛想よくしていればよく、無理矢理に笑顔を作ろうとしなくても良いのではないかと私は思う次第である。
だから笑顔を作るなと言っているのではない。ディズニーの方針だから別に構わん。笑顔が不気味だから行かないとは言わん。行ったら不気味だったというだけの感想である。
こんな事を書いて、上司から「笑顔が苦手だ」と思われている従業員がクビにされては後味が悪いが。

結局何だかんだ言って、また子供にせがまれて行く事になるのである。



  1. 2011/02/08(火) 00:59:44|
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ホテルマンに訊くな

ホテルのフロントをやった事がある。
接客業は何でもそうだろうが、業務に関連した事柄に関しての質問を客から受けるものだ。
例えば電気製品を売る販売員なら、オーディオの事、洗濯機の事等を訊かれるだろうし、洋服屋なら服のサイズや生地に就いての質問を受けるだろう。
ところがホテルの客の質問というのは、普通で考えたら「そんな事を俺に訊くなよ!」という様なものが多い。

●周辺で食事●
「この辺でオススメの食事処あります?」
というのはいい。が、
「和食がいいんだけれど、連れの者が豆腐が駄目なんですが」
とか
「コース料理でも何千円迄のトコで」
とか訊くけど、そんな観光客向けの食い物屋に仕事途中の我々が食いに行く訳ねえだろう?毎日毎日そんなもん食ってたら、金が幾ら有っても足らんわい。第一、一度や二度食いに行った事が有ったとしても、食材に何が使われてるか、価格設定がどれ位かなんて処までイチイチ知ってるわけねえだろうっつーの。

●周辺観光●
「○○植物園を見に行きたいんだけど、何時から何時までやってます?」

知るか!

「○○寺と○○神社を見に行きたいんだけど、入場料幾らですか?」

知るか!

こういうのはホテルから数十キロ離れた施設の事だろうと、平気でコチラに訊いてくる。
何で俺が其処の営業時間や入場料を知っていなきゃならない?俺は其処の営業で来てんじゃねえぞ。

●宿泊券●
旅行会社によっては、宿泊先で提出させる「宿泊券」を発行して、事前に客に渡しておく所がある。
券を発行するにしても、ただ宿泊券だけを発行するんじゃなしに、鉄道の乗車券だとか、列車の中で何か貰える券だとか、色々旅行に特典を付けて、何枚も発券する場合がある。
客の方は、それで戸惑ってしまい、フロントで一体どの券を提示すればよいか判らず、列車の方の券を提示して来たりする。
こっちは、「その券じゃなくてこっちですよ」と宿泊券を貰う。
客は手元に残った券を見て、少時考え込んで、
「じゃあ、こっちの券は、ドコソコから乗ってドコソコまでの間に提示すればナニナニが貰えるんですよね?」
等と訊いて来るが、知るか!
旅行会社と鉄道会社がお互いに決めた事を、こっちが知るわけねぇじゃねえか。私に訊いて来るんじゃないっつーの。
そもそも何百キロも遠くの駅から乗る列車の事なんか知らねぇっつーの。

●電車●
フロントにやって来て、
「朝○△時の列車に乗って、×□時に浅草に着きたいんだけど、どう乗り換えたらいいんですか?」
だからそんな遠くの路線の乗り換え方法迄イチイチ知らねぇってば。何―ぁんで俺に訊くんだい。鉄道マニアじゃねえぞこっちは。ホテルマンと鉄道会社員の区別が付かねえかね。

●バス●
電話して来て、
「東京から電車でナントカ駅(ホテルの最寄り駅)に行って、其処からバスでホテルに行こうと思うんだけど、バス代幾らですか?」

知るか!

「今電車に乗ってて、○時×分にドコソコ駅に着くんだけど、○時台に出発するバスはありますか?」

知るか!

それはウチに訊く事じゃねえだろう!?
何でバス会社に訊かねえで、わざわざホテルに電話して来るかね?
バスならまだしも、タクシー代訊いてくる猛者がある。知らねぇよ・・・。

●天気●
電話を掛けて来て、
「今ドコソコなんだけど、そちらの天気はどうですか?」
これは当然の質問といえる。併し、
「そちらの明日の天気はどうですか?」

知るか!
明日の天気なら天気予報を見ればよかろう。その程度の時間的余裕は有るのではないか。
挙句の果てには、
「今週、雨ふりますか?」
知るわけねえだろっつーの。超能力者じゃねえぞコッチは。気象庁に訊けよ。
土地の者なら土地の神様と話が出来るとでも思ってんだろうか。

●道の状態●
電話して来て、
「今そちらは寒そうだけど、ナントカ駅(ホテルの最寄の駅)からそちら迄の道に雪はありますか?」
という、これはまともな質問。
「今東京なんだけど、ナントカ湖に行く途中の峠は凍ってますか?」
ナントカ湖に至る途中の峠は、ホテルから10km以上離れている。10kmも離れた場所の、今日の道の状態を知っている訳ねえだろう。
だが、自分の住む場所から100km以上離れた地域の事である事を考えれば、例えホテルから10km離れていようと、向こうからすれば「ホテルの近場」であり、「ホテルの人間なら知っていてもおかしくない」と思うのだろう。
併し、チェックインして何時間も経って、その間こちらと何度も顔を突き合わしているのにも拘らず、矢庭に近寄って来て、
「ナントカ湖に行きたいんだけど、途中の峠は今凍ってますか?」

知るか!
あんた、さっきから俺が此処に居たのを何度も見てんだろう?
何で俺が今、其処が凍ってるかどうか知ってんだよ。幽体離脱して見て来れるとでも思ってんだろうか。スタンドなんぞ持ってねえぞ。

●混雑●
ホテル近辺の観光スポットには何があるかを訊いて来る。
こっちが「これはどうだ?」と訊くと、「それは見て来た」という。
「ではこれはどうか」と薦めると、「う~ん、イマイチだ」
そんなこんなで話している内、車で4~50分もかかる様な場所の話へと、範囲が拡がっていって初めて「うん、そこにしよう!」という話になる。
あとはスケジュールの問題だ。
「△時に此処を出発してドコソコを見て、見終わるのが×時で、それから駅に行くんだから・・・、その時間帯のドコソコの前の道は混みますかね?」
待て待て。
アンタは此処に来るまでに三時間かけて来て、「遠いなぁ」と言ってたんだろう?
このホテルから4~50分かかる観光スポットは、では此処からどの位距離があると思ってんだ?
単純に考えて、自分が家からホテルまでかかった時間の三分の一の距離があるとは思わんか?
そんな遠い場所の、その時間の道路状況を、何で私が知っていると思うんだアナタは。
私は常日頃、一体何処迄足を伸ばして特定の道路の混雑する時間帯を調査せねばならんのだ?
横浜中華街の付近のホテルに勤務する人は、中華街や元町の情報なら知っているかも知れんが、鎌倉の午後三時のナントカ通りの混雑状況を知っていると思うかね?
知りたかったら鎌倉のホテルの人に訊きなさい。

●所要時間●
連休などの時は、当然通常より道が混雑し、目的地に到着するにはそれだけ余計に時間がかかる事になる。
「ここ(ホテル)から○○寺まで、車でどの位かかります?」
ホテルから○○寺迄は3キロ位離れている。
「通常なら車で5~10分なんですがねえ」と私。
「でも今物凄く混んでますよねえ」と客。
朝、私が出勤した頃は左程でも無かった混雑が、此処に来て大渋滞になっている。ホテル前の道路も、車がチビチビとしか動いていないのが見える。
「そうですねえ。私が出勤して来た8時頃はそうでもなかったんですが、大分混んで来た様ですね」
「何処が渋滞してて、こんなに混んでるんですかね?」
「多分○○寺の前の交差点だと思いますよ」
「じゃあ、其処まではそこそこ車が流れてるとして、○○寺の前まで行ったらどの位で寺の中まで入れますかね?」

知らねぇっつーの。
一体、今何台の車がその交差点に集中していて、交差点を右折する車と左折する車がどの方向から何台来ていて、道を譲ってくれるドライバーが何人に一人の確率で交差点で信号待ちしていて、信号の間隔が何分で切り替わって、○○寺駐車場にどれ位詰まってて、入り口から駐車場迄の道が何百メートルで、其処に車が何台入ってて、単位時間内に駐車場から出る車と入る車の数がどれ位の比率なのか知らねぇし、知ってたって、イコール「○○寺前交差点から何十メートル地点から○○寺駐車場に駐車出来る迄の時間はこれ位だ」などという計算出来るか!

土地の者ならその土地の事を或る程度知っているだろうと思うのは人情だが、冷静に考えてみればホテルから何十キロも離れた地域の現在の混雑状況や、周辺の娯楽施設や食事処の価格設定や開閉店時間、リアルタイムでの遠隔地の天候など、わかる筈もない。
西遊記の斉天大聖の様に、一陣の清風と化して空間の中に雲散霧消し、広範囲に拡散して瞬時に半径数十キロ圏内の状況をつぶさに見て廻り、最後に風の中の自分を集めて実体化する様な仙術を心得ていれば別だが、風の中に雲散霧消どころか、雲にすら乗れないホテルマンに訊くべき話ではない。




  1. 2010/06/11(金) 23:57:21|
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企業のセコさ

以前は「お得感」があったが、最近ではケチ臭くなって来た店屋さんがある。

ビデオレンタルのツ○ヤなんかは、以前「毎週何曜はレンタル半額」なんてのをやってたが、今は毎週じゃなくなっている上、何か条件を満たさないと(女性であるとか?)安くならない。
クーポンで安くなる制度も有る様だが、携帯電話でこの会社のサイトにアクセスし、個人情報をツ○ヤに垂れ流させた上でなければ「電子クーポン」は戴けないシステムだ。そのクーポンも永久に使えるわけではないらしく、イベント毎に取得しなければならない様だ。
第一、アクセスする度に携帯電話会社に通信料を支払うのだから、一本借りる迄のコストは安くなってんだか高くなってんだか分からない。ツ○ヤは携帯電話会社から幾ばくか貰っているのではないかと疑いたくなる。

携帯電話会社からマージンを貰っているのではないかと疑わせる会社に、これは「以前はお得感があった」という条件に合致しないが、出会い系・無料ゲーム配信で有名なgreeee(仮名)がある。
このサイトには携帯電話、PC双方からのアクセスが可能だが、無料で接続出来るPCからのアクセスでは、サイトの使用出来る機能に大きく制限がかけられている。
アバターやブログペット(の様なもの)の設定、伝言板など。これらの機能は携帯電話からのアクセスでないと設定もしくはアクセス不能となっている。
どうしてその様な設定になっているのか不明だが、それでgeeee(仮名)にどんな得があるのかを考えると、携帯電話会社からのマージンが考えられるワケだ。
企業の戦略として別段責める性質の問題ではないが、PCから接続してみた時の余りな機能不足には、あからさまな作戦にコチラが赤面してしまう程のケチ臭さを感じないでもないのだ。

「以前はお得感があった」という条件に合致する企業の話に戻ろう。
古本チェーン店のブック・オ○がそうだ。
以前は、購入金額にもよろうが二~三冊買うと「50円券」くらいは直ぐに貰えた。数冊で「100円券」「150円券」など割引率の大きい券を呉れるので、買う気も起こったものだ。
併し考えてみれば、仕入原価などタダ同然で仕入れているワケなのだから、「券を使われると単価が下がる」とはいえ、赤字にはならない筈だ。

或る人が1000円くらいの本を一冊持って此処に売りに行ったら、
「10円(5円だったかな?)位にしかなりませんけど・・・」
と申し訳無さそうに言われたそうだ。

以前は本に表示されている定価の半額で売っていたので、1000円の本なら500円のプライスが付いていた。
10円で仕入れて500円で売るのだから、「150円券」を使われたって340円の儲けになる計算だ。
尤も「1000円くらいの本だった」とはいえ、発行年が古ければ100円で売るのだろうから、10円の査定が付いたのは、100円のプライスしか付けられない商品だったからかも知れないが。

定価1000円の新刊本なら100円位の査定が付いたかも知れない。
或る本は10円で買って100円で売る。また或る本は100円で買って1000円で売る。
これをやっていくと100円券やら150円券を使われて、年間の総取引で赤字になるのか黒字になるのか計算出来んが、赤字にならないからやっていたのに相違ない。
少なくとも一点単価は低いから大きな売り上げには繋がるまいが、仕入れ値から考えると「正直な商売」をしていたのには違いない。

ところが現在は、ツタヤと何か業務提携したか、ツタヤカードのポイント制に移行してしまった。
これは100円買って1点くらいのポイントが付く。1点が1円の計算だ。100円を10冊買ったって10円という還元率!
恐ろしくケチ臭くなってしまった。

更に売価設定だが、上述の様に定価1000円なら500円の値を付けていたものが、恐らく、
「一点単価を上げよう。例え何十円でも、塵も積もれば山となる。一日○○冊×何十円の単価UPでしかないが、それを全国の何百店舗で一年やったら幾らになるか計算してみろ!」
とでも指示が飛んだのだろう。定価1000円のものは売価が550円になってしまった。
定価800円なら売価450円。定価700円なら売価400円だ。
(これは店舗による。北関東某店舗で550円だったものが、東北の某店舗では500円だ。東北武士の気概が窺われる!)

結局、以前は100円券などがポンポン出ていたものが出なくなり、挙句に単価が50円ずつ高くなってしまった。そうして得た利益で、幹部連中は豪奢な生活をしている事だろう。
一方、この会社の求人の採用情報等を見てみると、初任給の安い事といったら無い。酷い話だ。

こういう話をしている私もケチ臭いといえばケチ臭いかも知れないが、我々の様な消費生活弱者にとっての100円200円は大きいと嘆くのと、大企業が1000円の品を100円で仕入れて545円(ポイント割引後)で売って喜んでいるのとでは、比較した時矢張り大企業側の方がケチ臭い様に思われてならないのだが。




  1. 2009/10/22(木) 22:34:42|
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若者の書く小説ジャンル

去る所に、所謂「2ちゃんねる」の様に、管理者が掲示板スペースを提供し、ユーザーが自分の思い思いの議題でスレッドを立てられるサイトが有る。「掲示板サイト」とでも言うんだろうか。

其のサイトの乱立する掲示板群の中に、
「皆でリレーをしながら小説を書きましょう」
というカテゴリーがある。要は、
「私が一話目を書きました。では二話目を誰か書いて下さい」
という形式で、続く限り100話でも200話でも続いていくスレッドを幾つも包括する小説掲示板カテゴリーと云うわけだ。

興味本位で覗いてみた。
同掲示板内には、凡そ300タイトルからのアマチュア小説スレッドがアップされている。
併し其のストーリーの基本設定たるや、矢鱈に偏ったジャンルが多いのに気付く。

小説のジャンルといえば、推理、歴史、戦記、SF、ファンタジー、ハードボイルド等々が思い浮かぼう。だが当該サイトにアップされている小説のジャンルは大抵、ファンタジーか青春物である。
若者が集まるサイトだからだろうか。併し、当該サイトには非常に多くの人間が集まり、同サイトの掲示板カテゴリーも、社会、科学、哲学ほか諸々のジャンルが用意され、それらの掲示板でもそれなりの議論が展開されている、つまり様々なジャンルの達者が多く集まって居る訳だが、ことリレー小説カテゴリーに限っては、何故か「青春、ファンタジー」のジャンルで埋め尽くされている様な状態で、推理やら歴史やら戦争物等が皆無に等しいのは何故だろう?

「他の掲示板は兎も角、小説掲示板には若者が集まるからだ」
と言われれば、そうなのかも知れないと納得するしかないが、不思議なのは其の一つ一つの小説の設定の類似性だ。
話の基本設定で多いのは、「女を主人公にする」「主人公は中・高生」と云う設定である。これを基本設定とし、其処からファンタジー物か青春物かに分かれるのだが、ファンタジー物になると大概「女が戦う」事になる。何を以って戦うのかと云えば、「魔法で戦う」と云う設定が矢鱈に多く、何処でそんな話が展開されるのかといえば「我々の棲む世界ではない、何処か別の世界」でだという。

第一話を書き始める人は、
「登場させる人物のキャラクターを細かく設定して下さい」
等と注意書きを付ける事が多いが、その際、何故か「目の色」と「髪の色」を設定させたがる。
普通目も髪も「黒」だろうが、「青」とか「オレンジ」にしてみた方がいいんだろうか。

中で、「長髪の黒髪で黒服。口調は昔の武者の様」と云うキャラクター設定が有ったのだが、そうして出来上がった登場人物は、武者口調とは云え、「やや!」「あいや!」「これはしたり!」等とは決して言わない。
「見てみい」ではなく「見てみろ」。「~だの」ではなく「~だな」。「致すわ」ではなく「するよ」。
二人称代名詞と云うのか、相手を指す時には「御邊」、「御手前」、「おこと」、「其許」等とも言わず、せいぜい「お主」か「お前」である。
武者とは言い条、イメージは飽く迄「長髪で青い目の細面の黒服のスマートなお兄ちゃん」にしたいのであって、小島剛夕の描く拝一刀の様にはしたくないらしい。(拝一刀を「武者」と言えるかどうかは此の際措いといて)

で、この「女が主人公」で「魔法で戦う冒険」と云うジャンルに、「惹かれて」続きを書くのを買って出る連中がこれまた多い。
「設定に魔法と騎士が出て来たので、思わず来ちゃいました♪書かせて貰っていいですか~」
等と言い乍ら話に入って来るのだが、何故そんな物に「惹かれて」入って来るのだろう?
「精神世界」、「ドラゴン」、「戦士」、「モンスター」、彼らはこうしたキーワードに惹かれて寄って来るのだが、そもそも、何故若者達は、一様にこうしたジャンルに興味を示す様になったものだろうか。

昨今流行っているのは「エヴァンゲリオン」とか云うロボット漫画ではないのか?
「ガンダム」もシリーズとして続いているかどうか知らんが、どっかで未だに「ガンダム」のプラモデルを売ってるのを見た様な記憶が有るから、尠くとも人気が有るのは間違い無さそうだ。
こういうのが流行るのなら「ロボットヒーロー」物か、亦は「SF」物の小説が多くなりそうなものだが、事実は「魔法・女の戦闘」物が大半を占める。

「ハリー・ポッター」とか「ファイナルファンタジー」なんかの影響だろうか?
或いはオタクの漫画でそういうジャンルの物が流行っているのだろうか?
オタクの漫画なら女が主人公で、然も戦うと云った設定も多かろう。
考えてもこの現象が何故起こっているか、原因の突き止めようも無いが、非常に不可解な現象だという点だけは書き留めておきたい。



そう云えば二十年以上も前の話だが、或るオタク雑誌を見た事が有る。
その雑誌の最後の方に「読者投稿」のページが有ったのだが、どんな投稿だったかと云えば、

「ドコソコ(精神世界の名)で今、ナントカ(敵の名)の軍勢に攻められ、劣勢になっています。(精神世界の)戦士の方々、救援に来て下さい!」───ペンネーム・ポポさんより

みたいなのが幾つも投稿されていた。彼等は本気だったものだろうか。
ところで此の雑誌は月刊誌である。投稿してもスグ次月号に載らないとすれば、投稿したのは二ヶ月以上前と云う事も有り得よう。仮に投稿が採用されてスグに雑誌に掲載されるとしても、今月号を見た「精神世界の戦士」が出す返信が掲載されるのは、更に次月号になる訳だ。
どこの世界に戦場から救援依頼を出すのに、月刊誌の投稿欄にハガキで出す兵士が居るのだろう。通信兵くらい同行させんものだろうか。(因みに携帯電話は一般に普及していない時代である)

繰り返すが、これは二十年以上も前の話だ。
併し、上で扱った問題の当事者たるリレー小説の若者達は、まさにこれに近い世界観を求めている様だ。
こういう話の内容に惹かれる風潮が、二十有余年を経て未だに一部で連綿と受け継がれているのだろうか。
二十数年前に雑誌に投稿していた「精神世界の戦士」達も、今となってはいいおじちゃん、おばちゃんだろうが、彼等は最近の若者達のこうした現状をどう見るのだろうか。




  1. 2009/08/20(木) 01:10:52|
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最近の映画放送

TVで映画を放映する番組枠が有るが、どうも最近は邦画を放映する事が多い様だ。
洋画を楽しみにして居ると邦画が始まるので、個人的にはガックシだ。
アメリカ映画を見慣れていると、日本映画の作りにどうも違和感を感じてしまう。何か、イタリアとかフランス映画の様な、見終わった後に厭~な雰囲気を残してしまう。
無論これは個人的見解であって、別段邦画放映反対を叫んでいる訳ではない。
恐らくは、
「日本で放映する映画番組なのだから、洋画を放映する割合が大きいのはおかしい」
とのナショナリズムから、有志が日本映画を放映し始めた処、他局も其の流れに乗り、夫れが主流となってしまったものか。

或いは単純に、日本映画界を盛り立てようとする監督連が頑張って映画を連発するので、TV局側も様々な損得勘定からか「日本の映画界も頑張っているんだよ」と云う状況を必要以上に喧伝する為に、ミーハーな視聴者が「日本映画が流行っている=流行っているから観よう」と云う事で映画館に足を運ぶ。「映画館が儲かっている=TVの宣伝の効果が出た」と見たTV局は、流行ったからには視聴率を取ろうとばかりにこぞって映画放映枠に日本映画を持って来る様になったか。

ま、いずれでも構わんし、ナショナリズムに端を発した事であるなら猶更結構な事であると言える。
「日本をラテン化したい」等と宣う女優や、反日役者が多数出演する様な某特定アジア国家の映画や、亦は其の国の歌手の作品ばかりに金をかける連中の無思想振りに較べたら遥かに結構な事だ。

併し、日本映画を放映するのはいいのだが、如何せん、あんまり面白くないのが玉に瑕だ。
「エコエコアザラク」と云う映画(未見だが)を制作しただとか、するだとか言ってた時期に、製作者裏話の様な形で出て来た話だが、日本はこういったファンタジー映画に金をかけられないのだそうである。つまりスポンサー側が「幼稚な映画は売れない」として、金を出したがらないからだと云う。
「スターウォーズ」「マトリックス」級のSF映画を日本映画に期待するのは無理そうだ。

金をかけるかけないの問題ではなく、作り自体がイマイチなのがアクション映画か。それも格闘物。
香港映画などでは伝統的にクンフー物が育つ土壌に在ったろうから、当然喧嘩のシーン等は見応えがあるし、アメリカ映画もジャン=クロード・ヴァンダムの映画等は、見せ方が上手い。日本はどうかと云うと、チャンバラシーンは「水戸黄門」の様な廉価版モードから、「隠し剣、鬼の爪」の様なハイグレードモードの物迄、やろうと思えば幾らでも出来よう。だが徒手格闘のシーンでは、千葉真一の様な本物の空手家で且つ映画用にアクションをアレンジ出来る器用な人間がやらない限り、非常に陳腐であると言わざるを得ない。
「少林少女」等は其の最たるものか。
別段役者の能力が低いと言っている訳ではなく、全員中国拳法の素人と云う処からオカシイと云う意味でである。数ヶ月やそこいら仕事の傍らに練習したからといって、直ちに少林拳の達人が演じられようとは思えない。演じさせられた方も可愛そうだ。
「少林少女」はアクションが陳腐であるだけでなく、其のストーリーも非常に陳腐だ。
80年頃から始まった「香港功夫映画最盛期」世代が見ると、何と内容の無い話かと思う。「少林サッカー」の雰囲気を出したいが為に作っただけかと思う程、ストーリーに見るべきものが無い。

亦、観ればそこそこ面白いのかも知れないが、題材的にトホホである事が多い。
バイアスがかった様な比較の仕方で申し訳ないが、極端な比較をすると、アメリカ映画では先にも出た「スターウォーズ」「「マトリックス」「ターミネーター」。SF以外でも「Mission Impossible」「007」「ランボー」等、非常にスケールのでかい映画が多い一方、日本映画では舞妓に憧れる男の話「舞妓は~ん」、男子高校生がシンクロナイズドスイミングをする「ウォーターボーイズ」、乳を見せて貰う事を目標に高校生が頑張る「おっぱいバレー」、田舎の高校生と駐在さんのイタズラを描く「ぼくたちと駐在さんの700日戦争」など、内容は兎も角、スケールのトホホな事。

そりゃアメリカ映画でも、スケールの小さな話はあろう。スケベ男が女がらみでバカをやる様な三流コメディ映画がそうだ。素人連中がフィギュアスケートをやろうという映画だとか、「なんとかリボウスキ」だとかいうのもそうだが、こういうのは矢張り売れないし、TVで放映するにしたって夜中の二時頃始まったりする。
スケールが小さいといえば「ミザリー」もそうか。片田舎の一軒家の室内。キチガイ女が男を監禁し、身動き出来ない様に男の体を切断したりする。
マイケル・キートンの「マイ・ライフ」もスケールが小さい。末期癌の男。生れて来る息子に父親として色々な事を教えてやりたいが寿命が無い。そこで父親として教えるべき事を、ヴィデオに残して死んでゆく。
スティーヴン・キング物も、片田舎の出来事を扱った物が多く、スケールは小さい。其の他一軒の建物内での話としては「ジュマンジ」「死霊のはらわた」「ホームアローン」「キューブ」等が挙げられようか。

これ等はいずれも日本・アメリカで一流の制作陣が作った、一流の作品と言っても良いだろう。
一流の「スケールの小さい」映画同士で較べた時、観たいと思わせるアイデアや映像の要素が多いのはどちらだろうか。(「ホームアローン」は兎も角・・・)

一方、日本映画でも、スケールがデカそうなのが「真夏のオリオン」。
潜水艦が海中で困る話だが、どっかで聞いた様な内容な様な気もする。今更アメリカでこの題材を扱うかと云うと、余程のアイデアが無い限り扱わないんじゃ無いかと思われなくも無い。
金をかけるとアイデアで二番煎じ三番煎じ気味になってしまう様だ。アチラを立てればコチラが立たず。
併し、小説なら「これは映画化したら面白いんじゃないか」と云う物があるが、内容が面白いだけでは映画化されない様だ。
日本映画とは、原作が売れているか面白いかよりも、監督が「飽く迄個人的に」面白いと思った、亦は一般人には理解し得ない芸術的・専門的な理由に因って制作意欲を掻き立てられた場合に限って作られるものなのだろう。
金がかけられないなら、せめて奇抜なアイデアでいって欲しいものだ。成功例は「デス・ノート」か。
未見だが「死神の精度」等も、基本的な発想は興味を惹くものがある。
「たそがれ清兵衛」シリーズは、これは原作というより、映画化するに際しての作り方のこだわりでの成功例だろう。

私見だが、どうも最近の日本映画には内容的に惹かれる設定の物が尠い様に思われ、反面そうした映画に限って人気の俳優を起用する事によって興行的にそこそこの成功を収めて居る様な気がする。
客を呼ぶ要素として、起用した俳優・女優の人気の占める割合を大きくするのではなく、映像やアイデアに比重を置いて作るのなら、日本映画を観る気も、大いに起きて来ようと云うものなのだが。


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  1. 2009/06/04(木) 00:20:01|
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営業マンを信じて良いか

物を売ると云う事は良かれ悪しかれテクニックが重要だと言えそうだが、そう云うテクニックを用いた販売の究極形が、営業マンの手口だろう。
訪問販売の手口で言えば、取扱い商品に依ってはターゲットを女に絞る為か、旦那の居なそうな時を狙って訪問するのも手口の一つだ。是は例えば「電解還元水を作る装置」を売り付ける場合等だ。「電解還元水」と云うのは「活性水素(原子状水素)が存在する水」らしいのだが、これがどんなに怪しい物かは化学に詳しい人なら一目瞭然だろうし、そうでなくともネットで調べれば直ぐに判明する。併し女性がこうした技術屋系の知識を持って居る確率は矢張り低そうだから、其処を狙ってのターゲット視なのだと思われる。

それから此方から出向くにしろ先方から訪問して来るにせよ、二人一組で対応して来るのも王道の営業手口だと言える。
栃木県小山市の某建築業者で有ったのが、
「私は無理に奨める積りは無いのだが、(アシスタントを指して)此の者が貴方(貴女)の熱心さ(知識、興味の強さ・・・等と置き換える事も出来る)は凄いから是非良い物を御勧めしたいと私を説得したものですから・・・」
等と猿芝居をする手口。こう云う心理戦を展開して来るパターンが有る。
此の業者は土地を探す際、
「私はプロとして恥ずかしくない物件を探して来ます」
等と言い乍ら、予算の低いのを言い訳にして滅茶苦茶酷い土地を探して来る様な、結局はいい加減な業者だった。

それから実際に体験した訪問販売だが、先ず、「私は売り付ける気は毛頭無い」「御得な情報を持って来ただけで、気に入れば買えばいいし、そうでなければ私は唯帰るだけ」「今日決めろ等とは絶対言わない」を連発。「兎に角話だけ聞いて欲しい」と云うから、話だけならと聞き始めてしまう。すると、「こんなに御得なのに何故やらないんですか。私が親戚なら怒りますよ」等と始まり、結局は「行政がらみの期限が有りまして、今日の何時迄なら此の値段でやれますがどうします?」と、結局直ぐに契約を纏めようとして来た。

初めにどんなに「今日売らない。得な情報を持って来ただけ」と言っていたとしても、こういう手合いは結局最終的に其の日の契約に持って行こうとするか、本当に其の日は売る積りが無くとも、連日押し掛けて来て契約を締結させようとするのだ。
其の日の裡に中に刻限を設ける目的は、速射砲の如きトークと計算された言葉のマジックでカモの思考力を奪って、考えたり調べる時間的余裕を与えない事に有ろう。
羞かしい話だが、此の営業マンのマジックには先ずかみさんが引っ掛かり、私に話だけでも聞いてくれと言って来たので、直に私が営業マンと対峙する事になったのだが、どんなにいい話でも絶対に其の場で契約しないと決心した上で話を聞いた処が、案に相違せず上の如き仕儀とは相成った訳だ。

「考えとく」の一点張りで営業マンを帰したが、「今日中に連絡くれ」と時間制限を設けて来たので、時間内に充分ネットや知り合いの情報で調べを付けた。其の結果、営業マンの言う「期限」も「期限であって期限でない」様なものであったし、営業マンの提示した金額も、「確かにやらないよりは得だが、同業他社の設定価格の相場と較べれば破格に高額」なものであった事が判り、契約しなかったのは言う迄も無い。
此の営業マンは既に老齢の域に達して居り、自信満々であった。
恐らく営業マンの世界では「達人」の域なのだろう。
処がやる事といえば此のザマで、最終的には速やかな契約締結が目的なのだ。初めからそう云う疑いの目で見ていれば、必ず相手の営業マンの目論見が何処かで散見される。「ああ結局言葉巧みに契約に持って行くのが目的か」と鳥渡でも思ったら、兎に角其の件に関しての調査の時間を設けるべきで、それを営業マンが赦さないのなら、どんなに魅力的な話でも絶対に契約しない方が懸命だ。

だが、
「私も人間ですから、今すぐに気持ち良くOKと言って下されば、私の方も気持ち良く、提示申上げた価格で御譲り致しますが、どうしますか?」
等と熟考する時間を与えない為の名文句を吐いて来る事だろう。併し雑誌の広告にしろTVCMにしろ営業マンにしろ、契約前に兎に角一度調べる事。契約後に調べて損をした事に気付いても後の祭りとなってしまうのだ。






  1. 2009/05/05(火) 22:24:58|
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販売文句は信じて良いか

新聞広告で「低分子コラーゲン」がどうのと云う化粧液(?)を見たかみさんが、「買ってもいい?」とて当該広告を見せて来た。
「使用者」と称する人物の使用前使用後の写真が複数載って居たが、何れも恐ろしい変貌振りを見せて居た。何しろ五十代の皺くちゃババアが二~三十代のツルンとした貌に変わって居るのだから、そりゃかみさんも欲しがる筈だ。値段がまた一万なんぼもする高級品である。
高度な画像処理技術や特殊メイクに就いての知識は持ち合わせないので、写真が加工されたものなのかどうか識る術は無いが、兎も角此の化合物自体何なのかを調べてからの話だ。

「買っていいか」とせがむ妻を落ち着かせ、「低分子コラーゲン」なる物が如何なる物なのかをネットで検索してみたら、「酵素分解して分子量を少なくしたコラーゲン」と云う事らしい。分子量を少なくして吸収率を上げたと云うんだろう。
で、それを皮膚に塗れば皮膚から吸収されるのかと云うと、どうもそれは無い様だ。
コラーゲンは蛋白質の一種である。詰り他の生物の体内で合成された蛋白質だ。と云う事は、其の蛋白質には其の生物の遺伝情報が入って居ると云う事で、夫れが其の儘体内に吸収されるのは臓器移植と同じ事になってしまうんだそうな。人間同士でも他人の遺伝情報が書かれた細胞を移植されれば拒絶反応を起こす。況してや牛や豚の遺伝情報が入って来たらどうなるか推して知るべしだ。
だから蛋白質は腸内で一度アミノ酸の形に分解されてから吸収されるので、皮膚からの吸収は有得ないのだそうだ。

では経口摂取でならコラーゲンを効率的に補充出来るのかと云うと、それも駄目らしい。
前述した様に、コラーゲンは一度体内で複数のアミノ酸の「部品」の形に分解されるが、バラバラの部品の状態では、他の蛋白質が体内で同じ様にバラバラの部品になった状態と変わりない。要は、コラーゲンを構成するアミノ酸の部品は、他の蛋白質をバラバラにして得られるアミノ酸からも得られると云う事だ。
コラーゲンを分解して得られたアミノ酸の部品から、特にコラーゲンだけが再合成される必然性は勿論無い。
然も、コラーゲンと云うのはアミノ酸バランスとしては頗る偏っていて、栄養価も高くないばかりか、そんな部品(アミノ酸)しか持たない食品を特段摂取する意義は低いと云う。

(結論)
幾ら分子の単位を小さくして吸収を良くしようとも、そんな物を食ってもしょうがない。
皮膚に塗れば皮膚表面に留まったコラーゲンが保湿作用を齎すらしいが、それは飽く迄皮膚表面での事であり、分子量が高かろうが低かろうが皮膚に吸収されないんだから結局同じだ。



それで思い出したが、ゲルマニウム商品でも似た様なケースがある。
結局何だ、あれは血行を良くするとかしないとか?
ゲルマニウムが皮膚から吸収されて血行を良くすると云う様な謳い文句が有るらしいが、こいつも皮膚からは吸収されない様だし、吸収されたとしたら逆に恐ろしい代物らしい。

ゲルマニウムには有機ゲルマニウムと無機ゲルマニウムが有り、人体に用いられるのは有機ゲルマニウムだけである。無機ゲルマニウムは毒性が有って、体内に入れば生死に関わる。有機ゲルマニウムの一部は肝炎治療等に用いられるらしいが、それも副作用を覚悟しなければならない。有機ゲルマニウムの経口摂取で死亡したケースも有ると云うから、下手な物を買って呑まぬ方が良い。

それと、ゲルマニウムは32℃以上になると最外殻電子の一つが「マイナス電子」となって飛び出し、それが人間の生体電流に干渉して治療効果を齎す・・・と云う宣伝文句も有るらしい。ゲルマニウムの人体への治療効果は科学的に証明されていないらしいが、そうした効果が有ると発見したんなら、学会へ発表したらどうなのか。「マイナス電子」の意味が解らんが。

ゲルマニウムの性質がどうだか知らんから、32℃で電子が一つばっかり飛び出すのかどうか知らんが、身に着けている物から電子が体に移動して来る現象てえのは、所謂静電気と言うやつではなかろうか。ゲルマニウムから移動して来た電子は人体に帯電し、その人が鉄や何かに触るとバチッと放電して終わりだったりして。

ボブソンの女性用(流石に対象とする客層を選んでいる)パンツで、「生地にゲルマニウムが練りこんであります」がウリの商品が有ったが、遉がにボブソンも慎重だったのは、其の効能をパンツに明示しなかった事だ。商品に付いていた紙をよく読むと、
「生地に練りこんでありますから、洗濯しようが何しようが半永久的に効果が持続します」
と云う様な事しか書いてなかった。
ゲルマニウムに何の効果があるか知らないけれど、効果があるとすれば半永久的にあるんでしょっ、多分・・・・と云った意味合いであったのだろう。

(結論)
治療効果が科学的に証明されていないから、ヤケクソでかドサクサに紛れてか、ゲルマニウムをラッキーアイテムとして販売している所もあるが、そういう意味合いで買うなら諦めも付くと云うものか。



「電磁波」を英語で何と言うのだろう?
と思ってネットで検索(辞書で調べろよ)していたら、「電磁波サボテン」という代物が引っかかった。
「電磁波を吸収するサボテン」らしく、「パソコンの横に置いて下さいね」等と優しい言葉が添えられてあったが、怪しさプンプンなので、更にネットで調べてみた。

「電磁波は回折を起こすので、サボテンを置いてもサボテンを回り込み、電磁波は四方八方から来てしまう」
と云う意見があった。
「回折」とは、水でも何でもそうだが、波の性質を持つものが起こす現象で、波が小さな穴を通過したり、小さな障害物にぶつかった時に、更に広がって進む現象を言う。
確かにパソコンの周囲には小さな凹凸が無数に有ろうから、PCから出た電磁波は空間に拡散していくに相違ない。更に壁からの反射も考える必要がある。
そしてウィキペディアに拠れば、
「電磁波サボテンなるものが有るが、科学的根拠はもとより、其の根拠となった論文も存在しない」
んだそうだが、電磁波サボテンの紹介サイトでは、
「NASAがこの説を唱え出した」
「電磁波を軽減する事が確認されています
とかいった文句が使われている。

一番気になるのは、どの周波数の電磁波を吸収するのか?という事だ。
何でもかんでも電磁波を吸収してしまう筈は無い。電磁波なら何でもかんでも吸収してしまうのであれば、サボテン自体が緑色に見えるワケがない。
光も電磁波だ。物というものは大概、特定の波長の光を選択吸収・反射(又は再放出)している。サボテンが緑に見えるのは、緑色のスペクトル以外の波長の光を吸収して、緑色に見える波長の光を反射しているからだ。
また、レントゲン等のX線でサボテン内部を透かし見る事も不可能となる。全波長の電磁波を吸収してしまうのだったら、X線も吸収してしまうからだ。
全ての波長の光を吸収するサボテンは、「2001年宇宙の旅」に出て来るモノリスの様に見えるだろう。

オール家電が浸透して来た昨今、IH調理器具の発する電磁波を遮蔽しようと「電磁波エプロン」なるものが出回っているという。
「電磁波99%カット」
等と云う宣伝文句しか書いていない悪意満々の商品も有るらしいが、多少良心的な商品には「10~1000MHzに対応」等と、対応周波数が書いてあるのもあるそうだ。
本当にその周波数に対応するのか、またその周波数で本当にIH調理器具に対応出来るのか、エプロンで回折の問題はクリア出来るのか・・・と云った懸案は扨措き、エプロンにも対応周波数の記載がある事からも分かる様に、周波数に應じた遮蔽物が必要なのだ。
白は光を反射するから、真夏に被る帽子は白が良い・・・というが、白のTシャツを着ていてもレントゲンは撮れるんだから、X線の様な光は透過するワケで、白の布が全ての光を反射するわけではない。

サボテンには水が含まれているから、電子レンジの様な周波数の電磁波は或る程度吸収するだろうが、PC等の出す周波数に対応するんだろうか。

(結論)
全ての元素は特定の電磁波を選択吸収・再放出する。分子でもそうだ。水の分子や二酸化炭素は赤外線を吸収する。オゾンは紫外線を吸収する。窒素分子・酸素分子等はX線やガンマ線を吸収する。しかしサボテンだけが全ての電磁波を吸収するワケは無い。
挙句の果てに電磁波サボテンを「風水・電磁波サボテン」等と風水にかこつけて売っている商品があるが、こうなるとギャグだ。




宣伝文句に騙されるで思い出したが、何処のメーカーだったか、タイヤメーカーで、「雪国の」だったか、「東北の」だったか、
「雪国(東北?)の○○%以上のドライバーが此のブランドのタイヤを選んでいます」
みたいな宣伝文句のスタッドレスタイヤのCMを流していた所が有った。
まあ此の場合、「騙される」と言うと語弊が有るが、尠くとも「物は言い様」と云うやつなんじゃないのかと疑ってみる。

ソコソコの街に棲んでいる人間がああいうCMを見ると、
「へぇ~、雪国の人がわざわざあのブランドのタイヤを選ぶんじゃ、よっぽど性能がいいタイヤなんだろう」
と思うだろう。
これは無意識に自分が住んでいる環境を基準にして考えるからだ。タイヤ専門店は数多く、其の他にもオート○ックス等のカー用品店でもスタッドレスは買えるのだから、タイヤブランドのみならず、購入店の選択肢も多いものと無意識に思ってしまう。

私はよく高速道路ではなく、会津西街道、詰り「下」を通って東北に行く事が有るが、栃木県の県境から会津若松市の手前辺り迄の間の町並みの寂しい事と云ったら無い。
そう云う場所では人口密度も低いから、小売のチェーン店等怕くて出店出来ないのだろう。行けども行けども、カー用品店はおろか、コンビニに行き当たる事すら至難だ。
そうした地域でよく見掛けるのが、何十年もののガソリンスタンドで、申し訳程度にタイヤを陳列、販売している風景だ。ガソリンスタンドのそんな販売スペースでは、扱っているタイヤメーカーの種類等、そんなに置けよう筈が無い。否、置いたって地域人口の絶対数が尠いのだから在庫が余ってしまうだろう。

田舎と云うのは近所付き合いが喧しいから、恐らく買う方も「付き合い」でそうしたガソリンスタンドで買うに違い無い。街にわざわざ買いに行くったって、何十キロもの道程を雪道をおして買いに行くよりは近場で調達してしまった方が手っ取り早い。必然、特定のメーカーのタイヤばかりが売れる事になってしまうものと推測出来る。
東北は広い。東北全体でそう云う過疎地域はどれ程有ろう。それらが皆同じ様な販売方法を採っていたとしたら、東北全体でのスタッドレスのメーカー別売上グラフは、かなり偏ったものになってしまうのではなかろうか。

(結論)
雪国の何十%の人が同じタイヤメーカーのスタッドレスを履くのは、買いたくて買っているんじゃなく、選択肢が尠いからではないのか。




  1. 2009/02/19(木) 17:26:21|
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朝起会

かみさんが近所のママ仲間に、「子育ての勉強会が有るから」と誘われて、付き合いで其の会場に出向いたんだそうな。
其の会合の名称が「朝起き会」。
普段は朝五時頃から会合をやってるそうだ。

で、かみさんが行った会合の会場はナントカ保育園。
如何にも「子育て」関連の話をしそうな場所で開催したもんだが、実際は別段保育園側が企画した会合でも何でもなく、「実践倫理宏正会」なる団体が保育園を借りて開催しただけの事で、紛らわしい事甚だしい。
(後で調べて判ったが、此の団体は道端で人に声を掛け、
「駅前の子育て支援センターで、子育てに関する講演会を×月×日×時からやっています。ぜひいらしてください」
等と、恰も「子育て支援センター」から来たと勘違いさせる様な言い回しで勧誘活動をする様だ。)

会合の様子だが、かみさん曰く、言ってる事が支離滅裂で、訳が解らんかったらしい。
例えば、会員のおばちゃんが皆の前で「自分が会の教えに由って救われた」経験談を発表するらしいのだが、或るおばちゃんは元々旦那さんを顎でこき使う様な最悪のババアで、其の結果夫婦仲は悪くなり、旦那さんも神経が参ってたのか会社を辞めてしまって、夫れが亦夫婦仲の悪さに拍車をかけてしまったのだと云う。
其処で会の、
「家で愛されない人は会社でも愛されません。だから旦那さんの靴を磨き、玄関の掃除をして、朝夕事有る毎に挨拶をしなさい」
と、まるで靴磨きが「まじない」であるかの様な教えに随って、旦那さんの靴を磨き、玄関を掃除し、旦那さんが起きれば「御早う御座居ます」。旦那さんが出掛ける時には「行ってらっしゃいませ」。帰って来たら「御帰り為さいませ」と言うという決め事をして実践した結果、晴れて旦那の仕事も決まって夫婦円満に成った。と、涙乍らに語ったと云う。

なんじゃそりゃ。
何故「家で愛されない人は、会社でも愛されません」なのか?
家で愛されないので性格が歪み、会社でも変人扱いされてしまうから・・・・・と云ったケースが考えられる(夫れも個人の性格に依るところ大だが)が、そうした間の経緯がどうなるからだと云う説明も無しに、まさに「風が吹けば桶屋が儲かる」式の言い様だったらしい。
それに靴磨きをすると会社が決まるのか。
然も段々聞いたら、身内の経営する会社で働かせて貰える事に成っただけだそうだが、それは「靴磨きの御利益」ではなく「親戚の誼」と云うやつではないのか。

亦別のおばちゃんの話では、息子が暴走族に入って半年程連絡不能なのだが、どうしたら良いでしょうか?と、会の幹部に相談したら、
「息子さんを信じて俟ちなさい」
とアドヴァイスされたので、其の言葉を信じて俟った処、果たして息子から連絡が有り、暴走族も辞めて仕合せな日々を送って居るんだとか。

何といい加減なアドヴァイスだろう。半年も家族と連絡がつかなかったら、万が一の事を考えないのか。私なら良くて失踪、悪くて事件に巻き込まれた場合を想定して、先ず警察に相談する。
勿論おばちゃんも其の事に考えは至ったんだとは思うが、幹部の方は「ひとごと」だから、そんな可能性迄考慮しない。
おばちゃんもおばちゃんで、そんな親身に成って考えて呉れるとは思えない人物に先ず相談して居る事自体がおかしい。
幸い大事無かったものの、これが殺人事件の被害者にでもなって居たらどうする積りだったのか。
それに暴走族を辞めたのは「息子を信じた」からではなく、時期的なものだとは思わなかったのだろうか。

こういう話を臆面も無く涙乍らに人前で語ってしまう非常識さ。
まさに思考停止状態の所にブレイン・ウォッシュの状態か。
まるっきり会の教えを信じ込んでしまっている。
下に此の会に就いての参考URLを示したが、参考URLのサイトの記事で此の会の勧誘員に対して質問を浴びせた人の話が有る。
夫れに拠ると、勧誘員はしっちゃかめっちゃかな事しか言わず、しどろもどろになって回答に窮していたと云う。
つまり会員も、会の教えを一度咀嚼して納得して居るんではなく、唯々丸暗記して納得した積りに成って居るに過ぎないのではないか。
一度でも咀嚼して居れば、咀嚼した段階で理論的におかしいかどうか解りそうなものだが。

参考URLを見れば判るが、此の会の母体は元々宗教団体だ。
徳光教(或るサイトでは「人のみち教」とも)と云う新興宗教団体から分派したPL教団と(社)倫理研究所の、後者の方から更に分派した実践倫理宏正会と云う会で、親団体の倫理研究所の人間からみても首を傾げるカルト集団だと云う。
カルト集団だとすれば、会員のおばちゃん達の被洗脳ぶりも納得だ。
参考サイトでは他にも痴呆症の老人から大金をせしめた等との記述も有るから、結局は金目的の団体だと思われるので注意した方がいい。


<参考URL>
http://moral.log.thebbs.jp/1084153812.html
http://okwave.jp/qa1382398.html
http://okwave.jp/qa2554875.html



  1. 2008/11/12(水) 01:31:03|
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地域の防犯対策

私の子供の通う学校では、eメールアドレスを登録しておくと、登録したアドレスに不審者目撃情報を配信すると云うサーヴィスを行っている。
「何月何日、何処其処に於いて小学生の女児相手に下半身を露出した、どんな服装の幾つ位の男」
「何月何日、何処其処に於いて小学生男児に包丁を突きつけた、どんな服装の幾つ位の男」
等と云う情報が配信される。
欲を言えば、容疑者の推定身長・体重位は知りたい処だが、不審者の情報を地域ぐるみで共有出来ると云う点で、非常に有効な試みである。
目撃された様々な容疑者の行動やら所持する武器から、有効な撃退法を最大公約数的に推定する事も可能だし、容疑者と鉢合わせした時に、予めそうした人種が近辺にうろついている事を認識しているのといないのとでは、冷静に戦えるかどうかの差が大きく出て来る為である。

扨、この様な目撃情報配信も、長期間続くと、どうやら何でもかんでも気に成り出す様だ。
此の間の配信では、
「下校途中の女子高生の横に徐行した車が寄って来て窓が開き、中から男が顔を出して、『今一人?これから一緒に何処かに行こうよ。乗ってかない?』と声を掛けた」
との配信があった。

まあ確かに「君子危うきに近寄らず」。知らない人物には踉いて行かないのに越した事は無いが、此の場合、普通「ナンパ」と云うのではないのか。
「不審者情報」として配信する程の話か。
刺激的な恋愛を求めて「行きずりの恋」を求める若者達は、全て不審者か。

日本の人口は今1億3000万人程だろうか。
戦後様々な要因で人口増加があったのも確かだろうが、有史以来行われて来た「行きずりの恋」で発生した生命も、この人口統計の数字に大きく関係している事だろう。

やり始めると何でもかんでも神経質にストップをかける昨今の風潮。
喫煙制限然り、「看護婦」等の呼称然り、比喩を用いた政治家の言い回し然り。ヒステリックに何でもかんでも文句をつけてやめさせてしまう。
今後百年で人口は半減すると見られるが、こうした風潮に踊らされる素直な人々が「ナンパをする男は不審者だ!」等と言い始める事に由って、更に人口の減少に拍車をかける事になりはしないかと、密かに憂いてみる私であった。



  1. 2008/08/29(金) 02:32:43|
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変な言葉を真似するな

TVで頻繁に使われる言葉を容易く日常会話に用いてしまう風潮が、数年前から気になって居た。
尤も、私が気に成り出したのが数年前だと云うだけであって、そうした風潮は恐らくTVが一般家庭に普及して以降、常に有った事なのだろうが。

兎も角も茲数年で気になった最初のHITは、「コラボ」と「モチベーション」であった。
「コラボ」と云う言葉は一般人としては普通使うまい。「田中さんと尾形さんが」コラボ等とは云うまい。
必然、個人でも有名人か、或いは企業間でしか使うまいが、それも今になって殊更意識的に使うべき言葉でもなく、かなり以前から何と無く目にした、耳にした言葉である。
だが何かで此の言葉が陽の目を見たきっかけが有ったんだろう。以来頻繁に使われる様になった。
それはまあいいだろう。「●社と△社がコラボした」等と、使いたければ使うがいい。依然一般人には縁の無い言葉だ。
だが夫れを、「コラボの意味は?」等と会社の昇格試験の問題に使う企業が有るのはお笑いだ。
一躍流行った言葉だから、企業間の提携関連の話では必ず此の語を使えと云う事か?
流行ったから?
どうも出題の仕方が、
「今流行ってて、出題者たる私は此の語を知っているけれども、御前等は知らんだろう?」
みたいな語調であったが、したり顔で左様な問題を今更出題する人間自体が、若しかして今迄其の言葉を知らなかったのではないのかと疑わせる。


「モチベーション」
どうも「看護師」にしてもそうなのだが、私は世間で急に「言い方」が変わった事に気付かないフシがある。
気が付いたら「看護師、看護師」と病院で目や耳にするので、よもや「看護婦」と言ってはいけなくなったんじゃあるまいなと思って居たら、果たしてそうであった・・・等と云う事が多い。
「看護師」自体は、元は何処のヒステリーが言い出したのか知らんが、結局法律で定められてしまった。随って公的な場では使わざるを得なくなってしまったのだから仕方が無いのだが。
扨、或る時話していた相手が、急に「モチベーション」と云う語を用いた。
偶々直前に読んでいた本に同様の語が用いられて居り、其処では「動機」と訳されてあったのを憶えていたので、話している相手と話が噛み合わなくなった。併し段々聞いたら「やる気」の意味であると云う。サテも難解な語を日常会話に用いるものよ・・・と感心していたら、以降社内各所でもTVでも、しきりに此の語を耳にする様になった。
調べたら、此の語自体は日本でも70年代から使われていた模様である。初めの私と話していて「モチベーション」と使った相手も、後で聞いたらかなり以前から普通に使っていた言葉だったらしく(実際かなりのインテリだ)、私の耳に入れたタイミングが偶々時期的に悪かっただけだったらしいが、兎に角此の言葉は「流行ってる」。
私が読んでいた本に此の言葉が使われていたのも、今にして思えば「流行っていた」からなのだろう。本の出版年は2003年である。
流行っているのを知った後に社内で夫れを口にする者達を見るにつけ、トホホと嘆息せずには居られなくなった。
「遣り手」と称される社員が、真面目な顔して朝礼で(千葉辺りの気障なイントネイションで)「モチベーションを上げて」なんぞとやると、解り易く流行の用語を用いているだけだとも取れるが、最近知った言葉を、さも自分だけが使いこなせている様な気分で使って居る様に見えなくも無く、莫迦を晒すなよと助言したくなる衝動を抑えるのに精一杯な私である。


「加齢臭」も同様だ。
是は先ずうちのカミサンが使った。「おんや?何処かで聞いた様な言葉だが・・・」と一瞬語意を計り兼ねたが、比較的意味を類推し易い言葉であったので、其の場は話を合わせる事が出来た。
次に同僚の家族がその語を使うと云う話を聞いた。
さあ是以降、TVで聞くわ聞くわ。
調べてみると此の語は、2000年に資生堂か何処かが造った新語らしいが、これまた何かで今になって陽の目を見た言葉だろう。
特に女が好んで使う様な観が有る。
是も「モチベーション」を「インテリを気取って使う」のを避けたいのと同様、「専門用語」、或いは「難しい言葉」を、「私は使いこなせてます」風に使うのは避けたい言葉だ。
今ではバカでもチョンでも使うからだ。


「アラフォー」
「40歳前後」と云う意味から拡張されて「40代」と云う意味にも使われる。
「アラウンド・フォーティ」略して「アラフォー」。
そう云う言葉が有ってもいいんだが、「必ず使わなくちゃならない」と云う様な強迫観念染みた使い方をするのは如何なものか。
TVで喋る人がそうなのはまだしも、客(芸能関係者の対極に在るのは飽く迄『客』だ)というか堅気の人と云うか、つまり一般人迄がそうした強迫観念に突き動かされる様に使うのも、日本人の右へ倣え体質が露呈して居る様で見苦しい。


「相当」
「相当」と云う言葉を使うケースを考えると、

自分が進もうとする前方に延々と続く道を見て、
「こりゃ(目的地まで達するのに)相当かかりそうだな」
引越し屋がこれから運ぼうとする重厚な家具を見て、
「こりゃ相当重いぞ」
クイズに次々と正解してゆく人間を見て、
「あいつは相当勉強したな」

等の使い方が思い付く。
これらは、「正確な量は判らないが、大きな量だと思われる」場合に使われている。つまり、長さを測った訳でもなく、重さを量った訳でもなく、時間を計った訳でもないが、敢えて計測を実行に移す前に程度の甚だしい事を予測して言う訳である。

ところが、最近はこの言葉の用法を捻じ曲げて使おうとする向きがあり、その影響で、流行言葉だからと無思想にも真似していた人々が、本当に間違えて使い出した観がある。
こういった用法だ。

長時間歩いて、
「あ~、相当疲れたよ」
旨い物を食って、
「うわっ、相当美味しいよ、これ」

自分の足で歩いて、どの位疲れたか判らんのか。
自分で食っておいて、どの位旨いか判らんのか。
「相当」は、どの程度か不明な場合に使うのだ。


「がっつり」
「しっかり食べる」などの「しっかり」に代用する他、どんな用法が有ったかパッと思いつかなかったので、ちょっと調べてみたら、どうも元々この言葉は北海道の方言らしい。
「たっぷり」「しっかり」「十分」「思いきり」「思う存分」
に代用する例が検索されたが、これが元々北海道での用法そのままに一般に使われているのなら、左程問題無いが、現在広く使われている用法が、元々の用法より広い意味に拡大されて使っているなら、
「何でもかんでもソレかい!」
と苦言を呈したい。
仮に元々の用法が「たっぷり」「しっかり」「十分」「思いきり」「思う存分」の全てをカヴァーする用法だったとしても、本土の人間が他人様の地域の方言を真似する事によって、元々の表現法が失われてしまう様では情けない。
北海道の人はそれでニュアンスが伝わるから、表現のヴァリエーションが少なくなってしまったとしても地域限定であれば赦されよう。併しそれを日本全国で真似し出した事によって、
「ソースをたっぷりかけて、しっかり食べなさい。食べ終わったら思う存分遊ぶなどして、思い切り羽根を伸ばしてね。」
の全ての表現が失われ、
「ソースをガッツリかけて、ガッツリ食べなさい。食べ終わったらガッツリ遊ぶなどして、ガッツリ羽根を伸ばしてね。」
としか表現のし様が無くなってしまうのでは困ってしまう。


「サプライズ」
「驚かす」。原語では「急襲」等と云ったニュアンスでも使うらしいが、昨今日本(のメディア)で多用されるのは、内緒でいきなりプレゼントする等の「いい意味での驚き」ばかり。
これも基本的には「アラフォー」でのコメントと同様だが、使い方として偏った意味でばかり使い、然もそれが流行っていると云う現状を、英語を母国語にしているか、さなくば母国語に近い状況で話している民族が知った場合、如何にもこの言葉が最近日本国民に認知された様で情け無い。


「ぶっちゃけ」
カミサンに拠れば、此の言葉はドラマで木村たくや氏が使ったから広まったんだそうだが、ネットで調べたらナインティナインの岡村氏が火元らしい。
余りに皆が頻繁に使うので、こちらも、同じ意味の言葉を元々はどう表現していたか忘れてしまう程だ。慥か「ぶっちゃけた話」程度に使っていた様な気がする。
横山やすし氏はこうした場合、「正味の話」と表現していた。
ちゃんと言うとしたら「有体に申さば」か。
此の様に、夫れ迄違った表現を用いて来た我々ですら、元の言葉の使い方を忘れてしまう程である。況や是から言葉を覚える子供達は、元の正しい言い方を知らずにいきなり「ぶっちゃけ」は「ぶっちゃけ」だと認識してしまうのである。親はこういう言葉を覚えようとする子供の姿を見たら、先ずは「本当はこう言うんだよ」としつこく、身に沁みる迄教え込んでおかないと、後々恐ろしい事に成ってしまうとの認識で居たいものだ。


「~ぢゃね?」
2ちゃんねる風に書くとこうなのだが、御分かりになるだろうか。
何処の若造が言い出したのか知らんが、こういう事を声を大にして言い出すのは若年層だろう。夫れをTV関係者が無理矢理TVで広めようとする。TV出演者達も真似をするが、彼等の大半は恐らく初めに是を言い出した若輩者よりも年長だろう。年長者が何処の馬の骨とも知らぬ若輩者の真似をして不名誉に思わんのか。
扨こうした事をTV出演者達が遣り出すと、TVを見ている大半の人間は、是がナウいと思い込む。併し是は元々茨城のイントネイションを真似たものだとの説が有る。
どうだか知らんが、昔は北関東の人間を、東京の人間は莫迦にしていたもんじゃないのか。今だって根本の處ではそうだろう。
それが一説に過ぎんが北関東のイントネイション説の根強い此の言い方を東京人が真似するのだ。別にいいけど。
だが矢張り一番見苦しいのは、いい母ちゃんや父ちゃんが真似をする。亦は、北関東の人間が逆輸入で是を真似る。と云う事だろう。そのいずれもが、
「自分は現代人だから、自然にこうなってしまうのだ」
風の顔で言っているのが見苦しい。


「うざい」
今迄「うざったい」と言っていたんなら、若造の変な言い方を真似するな。
因みに「やばい」と云う言葉。
東海道中膝栗毛の中で登場人物が、「あいつはヤバな奴だ」と云う様な使い方をしていたから、元々「ヤバ」は有った言葉で、江戸弁か何かだったのだろう。「危険な奴だ」と云ったニュアンスか。それを恰好付けて現代人が「やばい」と言い換えたが、其の時には「おっといけねえ」「まずいなこりゃ」程度の「やばい」に変化していた。其処から意味が拡大し、「あいつヤベえよ」となると「あいつは危険な奴だ」と云う事も意味し出し、何の事は無い、元の意味に戻っていたりするから面白いものだ。


「すごい」
「すごい大きさだ」はいいが、「すごい大きい」はダメだ。「すごく大きい」だ。


「ありえない」
「有り得ない」と云う表現は昔から有ったが、無論「現実には(理論的には)存在し得ない・起り得ない」と云う意味で使うものだ。併し最近のミーハー達の用法では「かなり・結構」と云った程度の事柄にも、恰も形容動詞の様に使ってしまう。
例を挙げれば「かなりデカイ顔」にも使うので、面倒臭い事に、使用する際には「ありえない大きさの顔」と言い換えて使う必要が有る。
面倒臭いのも去る事乍ら、これも子供達が大人に成った時のこの語の使い方に大きく影響してしまいそうなのが怕い。
また、外国メディアからインタヴューを受ける様な立場の人間が、外国メディアのインタヴューに答える時に、調子に乗って(日本人向けのアピールでしかないが)こんな表現を使ったとしたら、「ありえない」を英語に直訳して字幕を作成しようとする向こうの人間も訳が解らなくなる事必至だ。
似た表現に「チョー」と云う表現が80年代後半か90年代初頭から使われ始めたが、これもそもそも、特定の事柄が「通常の状態」から「MAX前後の状態」になり、更に極稀に「それ以上の状態」になった場合のみに使っていた言葉だが、現在では「通常の状態より若干上回る程度」にでも使ってしまう。


「俺的には・私的には」
「個人的には」だろう。
「それは彼的に駄目らしいっすよ」等と使う。
亦、例えば「軍事的な」「科学的な」「経済的な」等、「~的」と云う言い方を一般に使う語と、似た様な意味乍ら「~の様な」と表現する語があるが、そんな区別も一切無しに何でもかんでも「的」を付ける。
恐らく従前なら「~的」を付けた方が知的に聴こえるだろう的な発想であったものが、最近は「~的」を付けた方が垢抜けて聴こえるだろう的な、従前より更にトホホな方向への打算に変わって来ているのが嘆かわしい。
其の裡北京語風に「好的」「別的」とか言い出すんじゃないか。


最後に関西圏の言葉を使う他地域人。
「こういうゆったりした時間を・・・」と言うのに、「こういうまったりした時間を・・・」と表現する奴があるが、本当にそういう用法でいいのか?解ってて言ってんのか?


関東人なのに「おれら」「わたしら」を「うちら」と言う。「うちら」と云うのは女言葉だろう?御前等男も女もじゃりんこチエか!?
母ちゃんを「おかん」と言い、「滅茶苦茶」を「めっちゃ」「めちゃめちゃ」と言う。
「遅せぇ!」「臭ぇ!」を、「おそっ!」「くさっ!」と言う。
「カチンと来る」を、関西の漫才師の真似だろうが、「イラッとする」と言う。
挙句の果てにはイントネーション迄テキトーな関西弁風を用いる奴がある。
其の事で何か得があんのか?カッコいいのか?
「何故か私関西弁出ちゃうんだよね~(´-`)」
とでも言いたいのか?そんなワケねえだろう?
「ヤンキー」ではなく「ツッパリ」若しくは「不良」と言え。
「ぶたまん」ではなく、「肉まん」と今迄通り言えんのか。
拳銃は「チャカ」ではなく、「ハジキ」だ。


同じ様に琉球の言葉も真似する必要は無い。
ゴーヤじゃなくて、苦瓜だろう。スーパーの広告やPOPに迄「ゴーヤ」と書くんじゃない。




  1. 2008/05/21(水) 00:37:38|
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クリスマスが今年もやって来る

クリスマス時季には有線で必ず、
「クーリスーマースーがー今年もやーあーってーくーるー」
と云う歌が流れるが、毎年思う事が有る。

歌詞の中に、
「クリスマスは誰にもやって来る。若し一人ぼっちでも寂しがらずに、心に棲むサンタに呼び掛けて、幼い頃の夢を思い出して御覧よ。」
と云う一文が有るのだが、これがどうにも物寂しい。

一人ぼっちのクリスマス。非常に寂しい状況である。
しょうがないので心の中のサンタのイメージを呼び起し、子供の頃に感じた、何とも言えぬ幸せだった雰囲気を思い出して我慢せよと云うのだ。
これは酷だろう。
世間では恋人達や家族が、幸せなクリスマスを謳歌している。仕方ないので子供の頃の幸せな雰囲気を思い出す。世間の幸せな連中も羨ましければ、記憶の中の幸せだった自分と、今の己の置かれている状況のギャップも激しい。

架空の男を一人想定して欲しい。
渠は仕事で大失敗を犯し、先月には離婚も成立していた。健康な人間でも鬱を発症して可笑しからぬ状況である。
でっぷり太って丸眼鏡、四十がらみの渠に、最早恋人の出来る望みは薄い。
今日はクリスマス・イブ。渠は決心をして、会社の屋上へと足を向けた。
フェンスを乗り越え、靴を脱いで揃えると、渠は屋上から見える下界に目を遣る。
視界の中には幸せなカップルや家族が、クリスマスソングの流れる街中を愉しそうに歩いている。其の時渠の耳に聴こえて来たのは、竹内まりあの「素敵なホリデイ」。今回の主題の歌である。
「クリスマスは誰にもやって来る。若し一人ぼっちでも寂しがらずに、心に棲むサンタに呼び掛けて、幼い頃の夢を思い出して御覧よ。」
子供の頃の愉しかった思い出を走馬灯の様に脳裏に巡らせた渠は、虚空に向かって寂しく笑ったのを最期に・・・・・・・・。

あ"あ"~、やだ。
そんな寂しい事を想像させる様な事を言わないで呉れ。

因みに、此の曲の中には
「穏やかな毎日が続くぜいたく」
と云う歌詞も有るが、
「穏やかな毎日が続くぜ、いたく(非常に)」
と云う文節で区切って読むべきか否か、迷う次第である。



  1. 2007/12/12(水) 00:10:04|
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成績順位に固執する余り

近所の子供A男と、近所の子供B子は、同じ小学校に通っている。
A男は神経障害が有るが、B子より成績がいい。
B子の母親は、A男が居る為に、自分の子供が成績でトップになれない事が悔しいらしく、B子をけしかけてA男を虐めさせて居ると云う。A男は今言った様に精神障害が有る為に、虐めに抵抗する術を持たない。

成績一位になれないのは他人が居るからではなく、自分の問題であろうと思うのだが、母親はそう思わないのだろうか。
例えばA男は毎回100点を取るが、B子は偶に98点を取る事があるので一位になれないと云うのであれば、それは能力差か、子供の勉強時かテスト時の集中力が不足しているからだろう。であれば、母親が責める対象はA男ではなくてB子だ。

そもそも「自分の子供が一位でなくては気が済まない」と云うのも、子供にとっては迷惑な話である。それも子供の将来を考えての事であれば未だしもだが、唯単に「一位が好きだから」と云った偏執的な考えだとしたら、そんな精神異常者の様な親に付き合わされる子供こそ、いい面の皮だ。
どう仕様も無く子供を一位にさせたくて仕方が無いのなら、子供の向上心を伸ばしてやる努力をするに留めるべきだ。

それに、誰が何点取ろうが気にする事自体が傍迷惑である。
A男が独り努力して100点取ったのを、他人がとやこう言う筋合いではない。
A男が何点取ろうが、B子(の母親)は気にせずに、自分(の子供)の学力を上げる努力をすればいいだけだ。努力すれば努力しただけの成績が踉いて来るのだ。
それを、自分の努力が足りないのを棚に上げて、自分より成績のいい人間を攻撃してリタイアさせる方向にしか考えが及ばないと云うのは、正に野蛮人以外の何者でも無い。まるで漫画だ。

こう云う人種は、仕事中に訪問して来て法外な金額の物を売りつけようとする訪問販売の奴等と何等変わる所が無い。人の平穏な人生に干渉して来て被害を齎す社会の屑だ。
自然災害か暴動かクーデターか戦争か、そんな事情で無政府状態か極度の治安悪化が生じた場合、そんな人間は、どさくさに紛れて平時、被害に遭っていた人間から真っ先に狙われるだろう。

この親子と同じ様な事を言っていた韓国人が居た。

「私は今迄何もかも一番だったが、アイツが現われると同時に、容姿も成績も一番ではなくなってしまった。私はアイツを殺したい。悪い考えであるのは解っている。併しこんなに人を憎んだのは初めてだ。」

韓国人は過度の儒教病の影響で、常に人と優劣・上下関係をはっきりさせ、優位に立ちたがり、李氏朝鮮時代の科挙の悪弊を引きずって、エリート志向が強いので、恐らくこうした価値観が生まれるのだと思う。其の上、1800年代末の西洋人コリアン・ウォッチャーも指摘している様に、朝鮮民族は「我慢」が出来ない。一たび怒ると喚き、泡を吹き、激しく嘔吐して卒倒する程怒る。赤ん坊の「憤怒痙攣」の様だ。
在中国朝鮮族三世の人が韓国人と喧嘩したのだそうだが、その人は「私は金輪際韓国人と喧嘩すまいと思った」のだそうだ。何故なら「相手が怒りの余り、私を噛み殺すのではないかと思った程だったからだ」とか。
こうした性情だから、人を殺そうと迄考えてしまうのだろう。

件の親子は、まるで朝鮮民族、殊に韓国人の様だ。
日本人なら先ず「慎み・謹み」と云う事を知るべきだろう。




  1. 2007/11/22(木) 01:47:28|
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考えて質問しよう

実際にあった話だが、洋服を買う時に、店員に妙な条件を提示して洋服を選ばせようとする奴が居る。

子供服というのは、MやLといった表示ではなく、90センチとか100センチとかいった表示がされているのだが、婆あが、
「孫が六歳なんだけど、何センチのを買えばいいの?」
知るか!
六歳の平均ならこんなもんだというのはあろうが、あんたの子供が異様にでかいか小さいか知らんし、異様にデブだったらどっちにしろ着られねえよ。その前に孫のサイズを計って来い!


普通のプリントTシャツというのは、まさか子供服ではあるまいし、どらえもんだとかあんぱんまんみたいな柄のものが置いてある訳ではない。極一般的な柄があるだけだ。そのプリントTシャツコーナーにて、
「息子が高校一年生なんだけど、どの絵柄がいいかしら」
知るか!
何か?高校一年生だと絵柄よりも文字プリントの方が好きだとかいった統計があるのか?このサイズの絵柄よりも、一回り小さい絵柄が好きだとかいった研究結果があるのか?高校一年生は丸っぽい柄は好まず、四角っぽい柄を好んだりするのか?そんな研究は聴いた事もねえし、あったとしたっていちいち知るかそんな事。
挙句の果てに、文字列のみのTシャツを比較して、「筆記体がいいかしら・・・」なんて知らねえっつーの!高校一年生はゴシック体が嫌いな可能性でもあるのか!?


四十過ぎの婆あが、飾ってある服を取ってくれというので取ってやったら、
「でもこっちの色も可愛いのよねえ」
と、もう一色持って来て鏡の前で比較し、
「ほら、青の方が可愛くない?」
知るか!
単に「どうです?」ってんなら「顔が映えますね」とか何とか言い様もあろうが、何だ「可愛いでしょ」ってのぁ!
リアルな猫の顔でもしてりゃあ可愛いが、四十過ぎた婆あに「可愛いです」なんて、嘘臭くて言えるか!

「私が可愛いってんじゃなくて、服の色が可愛いでしょって言ってんの」
と言われたとする。
私は「頭が痛い」「胃が痛い」なら解るが、「頭が重い」「胃が重い」というのが理解出来ん。それと同様に「靴が可愛い」「色が可愛い」も理解出来んのだ俺ぁ。
繰り返すが、リアルな猫の顔をしていれば、靴だろうが色だろうが可愛い!だが婆あは可愛くない!


年寄りは大抵、
「Lサイズは何処にあんの?」
と訊いて来る。
何か?全商品、LはL、MはMで纏めてあるとでも思ってんのか?
店内を見渡して、そう見えるか?そうは見えんだろう?
同じ柄のTシャツが、そうそう色んな所にサイズ別に分けてあるか?一箇所にしかねえだろう?
ではその一箇所にしか無い特定の柄のTシャツは、Mばっかりが重ねてあったりLばっかりが重ねてあったりするとでも思ってんのか?
然も、
「いえ、そのアイテム毎にMもLも重ねてあります」
と説明した処で、あんたらは全然人の話聞いてねえだろう。
突然、
「こないだM買ったら恰度良かったんだ」とか「白がいいんだ」とか言い出して、何の事はねえ、唯探すのがめんどくせえから探してもらおう魂胆に過ぎねえ癖に。

で、結句「この柄の白のMが欲しい」という話でしかなかったりするんだが、そのMが無いと、是亦、
「Mは無いんだね」
「ええ、切らしちゃってます」
ここで諦めるのが普通だが、年寄りは、
「いやねえ、こないだ買って物凄く良かったもんだからねえ・・」
とか何とか言い出して帰ろうとしない。
こっちも、
「はぁ・・・」
と相槌打つしか無いんだが、更に、
「いや、此処は近いからよく買いに来んのよぅ・・・」
「あは、有難う御座居ます・・」
「白がいい、白がいいって、うちの爺さんが言うもんだからねえ・・」
「はぁ・・・」
「Mは無いもんねぇ・・・」

って、しつけぇんだよ!
どうやったって、逆さに振ったって出て来やしねえんだっつーの!
幾ら粘ろうが、せびろうが、ねだろうが、ねえもんはねえ!どうしろっつーんだよ全く!



  1. 2007/05/22(火) 02:13:28|
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例の本屋

以前紹介した勘違い古本屋に行ったら、今度は兎か何かの着ぐるみを着て作業をしてるバイトが居た。
セール中だからなんだろうが、着ぐるみを着たからセールが盛り上がるとの判断は余りにも短絡的だ。
そんな扮装をして黙々と商品を陳列する姿は、薄ら寒いものでしかない。
ミーティングと称して楽しそうに相談する彼等の様子が眼に浮かぶ。
如何にも真面目人間の考えそうな事だ。
一見「常識破りで自由な発想」に思える(尠くとも青写真の段階ではそう思えたんだろう)んだろうが、実に企業的束縛の感じられる発想だ。
思い切って斬新な事がやれない悲しさ。

更に彼等の御馴染みの「コメント末尾の復唱」。
「只今何々が幾ら幾らポッキリで~す!」
「ポッキリポッキリィ~!!」
その方が客が安いと感じるとでも思うのだろうか?
「只今何々がどうこうで~す。どうぞ御利用下さいませ~!」
「下さいませ~!!」
何で其処だけ復唱する?
「騒げば盛り上がる」これは確かだろうが、併しこの場合盛り上がってんのはあんたらだけだ。客が一緒に盛り上がると思う神経が信じられん。
「あんたらが盛り上がる」のと「客の購買意識が盛り上がる」のとは全く別の問題だ。客の立場になって考えろと教わらなかったか?

「先ず自分達が盛り上がらないと、御客さんに伝わんないでしょ」
等と云う理屈でやってるのかも知れんが、例えばそう、「ライブで盛り上がろうとして会場に入る客と、客を盛り上げようとするミュージシャン」或いは、「祭りの神輿で騒ぐ客と祭りの主催者」の様な関係になぞらえて考えてやしまいか。だとしたら、そういう状況とは事前の諸条件も客の目的もまるで違う事を考慮しているのだろうか。

祭りもライブも主催者側は事前に大々的に宣伝しているし、何より客は「愉しもう、騒ごう」と云う気概で以って会場に足を運ぶのだ。
本屋に来る客は普通「探して、買おう」というのが目的だが、古本屋に「愉しむぞ!騒ぐぞ!」等と云う動機で足を向ける奴がどの程度居るだろうか。
ゆっくり本を探そうとして来ている客に「盛り上がりを伝えた」ところでどうなるというのか。それで「買おう」という気にさせるつもりなのか。第一、商品は「本」なのだ。これは興奮したからといって買う気になるものではない。

こういう事は本部にやらされてんのなら解るが、あれは多分彼等が自分達(大抵店長の一存に反対意見が出ずに決定されてるだけだが)なりに考えてやってる事だろう。
またそれを見て、企業の幹部連中が喜ぶ。そして店長は「努力賞」か何かを貰うんだろう。如何にも「やり手の女店長」風を吹かせそうなのが店長だったが。
幹部連中というのはオヤジだ。随ってオヤジが喜ぶ発想なんだから、店内の殆どを占める若い客が喜ばなきゃならん謂われは無い。



  1. 2007/05/20(日) 01:05:50|
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報道

2007年1月、柳沢厚生労働相が「女性は子供を生む機械だ」と発言したという報道が為され、大きく問題視された。
問題の発言シーンをチラッと見た(んだったかアナウンサーが吹き替えてんのを聴いたんだか)が、聴いている限りでは左程問題なさそうな発言振りだったのだが、インタヴューされてる街中のオバちゃんやら政治家のオバちゃん達は、異常に憤慨していてアホかと思ったのだが、ウチのかみさんも女だから憤慨するかと思って何も私は言わなかった。
併しニュースを見終わったかみさんは、
「何であんなに怒るんだろうね。単なる言い間違いみたいなもんじゃん」
と、意外に冷静に状況を受け止めていたので吃驚した。

「言い間違い」というのとはちょっと違うだろうが、単なる譬えに過ぎんとは言えよう。
報道其の儘に受け取ると、あたかも
「女は子供を生む機械だ!」
としか言っていない様に取れるが、後でネットのニュース記事なんかを確認してみたら、
「15から50歳の女性の数は決まっている。生む機械、装置の数は決まっているから、機械と言うのは何だけど、あとは一人頭で頑張ってもらうしかないと思う」
と言っていたのだ。これが噛み付く様な発言か?
男の事を同じ様に「人間以外の物」に、しかも巫山戯半分で譬えても大した問題にされなかった事なんて腐る程あったと思うが、女に対してだと、こうも噛み付くか。

上で下線を引いたが、「機械と言うのは何だけど」と其の場で断りを入れてるし、聞くところに依ると「機械と言って申し訳ないけど」「機械といって御免なさいね」等ともフォローしながら喋ってた様なのに、ニュースになると「女は子供を生む機械である」になってしまうのは何故だ。フォロー部分を一切カットしてしまった上に「・・・である」等と断定的な語尾に脚色されてしまっている。

野党がこれを問題視して叩くのは戦術上当然だろうが、身内の女議員迄腹を立ててどうする。柳沢発言をちゃんと全部聞いてから言ってんのか。
うちのかみさんでも分かる様な事を、頭のいい女議員達がわからんワケもなかろうから、世の中の女性一般の意見をしょうがなく代弁してるだけなのかも知れん。


も一つ。NOVAの講師六人(?)が麻薬だか覚醒剤を買って捕まったというニュース。
或る局のニュースでNOVAの受講生にインタヴューをしているシーンを流した。受講生は、
「街中で遇っても、踊りながら挨拶してくる様な明るい人物」
とコメント。次いでナレーターが、
「・・・という明るい人物であると話した。併しそれは昼の顔でしかなかった!」
では夜は一体どんな異常性を発揮したのかと思っていると、近所の人へのインタヴューが流れる。
「夜はドタバタと騒いでいる事もたまにありました」
「ゴミの捨て方が悪かったみたいです」

・・・・トホホ、なんじゃそりゃ。
外国人なら騒いで陽気に過ごすやつも居るよ。そこら中に・・。日本人だってそういう奴等は居るし。
ゴミの捨て方も、分かんなかったか、国や地域に依っては日本程ゴミの捨て方を重く認識していない所もあるかも知れん。ドイツ人が見たら、日本人だってゴミの捨て方のマナーがなってないと視られるかもよ。第一、男なんだから、ゴミの捨て方が多少悪い事だってあらぁな。
全っ然昼の顔が明るい事と比較の対象にはならん。
麻薬を買う時だって明るかったかも知れん。昼の顔の儘麻薬買ってたらどうすんだ。

全く報道の仕方には苦笑する。





  1. 2007/02/02(金) 00:47:37|
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人間性の形成

人間関係というものは煩わしいものである。当然不満を感じる事もあれば、怒りすら覚える事もある。
それを尠くとも表面上は平常心を保っている様に見せる、つまり「人間出来てんなあ」と思われる程度に寛容さを演じられる様になるには、ひいては本心から憤懣や怒りを覚える事無く、純粋な「寛容」の塊になるにはどうしたら良いか。

手段の一つとしては仏門に入る。中でも禅宗ででも修行するという方法があろう。
精神的な何かを得る為に座禅を組む・・・なんという解決法は、漫画やドラマや小説などで、この日本では腐る程採り上げられている、認知度の高いポピュラーな方法だ。
そうした方法の実践者たる禅僧のイメージも、漫画等では、一般人の及ぶべくも無い程の人格者として描かれる。
禅僧に限らないが、実際の僧達も、TV等で話す台詞や口調を聞いていても、そうした「人格者」に見える様な事を言う。

併し彼等「僧」達が、還俗して一般企業に入った時、果たして其の「人格者」振りを、どの程度迄保って居られるのだろうか?
複数の部下に仕事をさせる。女共が徒党を組んで問題を起こし、亦下らない事を大袈裟に問題化して申し立てを起こす。取引先や上司に嫌な事を言われる。仕事上の失敗を犯して叱責されるなら未だしも降格させられたり左遷を申し渡されたりする。亦単に嫌な性格の奴と付き合わなければならない等々。
これ等の諸問題に精神上冷静に対処出来る様になる為には、其の場でそういう経験を何度と無く積まねばならない。
然るに僧たる人々には殆どその様な経験は無かろうと思われる。にも拘わらず「悟りを開く」=「完全な人間になる」=「仏となる」為に修行を続ける。其の修行とは、ひたすら座禅を組んで、いわば「イメージトレーニング」をし、人間の書いた「成仏マニュアル」=「経典」を読んで理解する事だけだ。
これでは戦争シミュレイションゲームをやって、「自分は歴戦の勇者だ」と言うに等しいだろう。
と、私は常々思って居た。

最近はTVや本等でもこうした考え方を眼にする事が多い。矢張り皆考える事は同じか。
人間的に寛容になるには、矢張り様々なシチュエイションの人間関係の中で揉まれなければならないのだと思う。

さて、では具体的に、どんな職種が「寛容さの形成」に最も効率的に効果を発揮するだろう?と考えると際限無くなるので、逆にどんな職種が最も非効率的か。と考えよう。
併し乍ら、これも考えていくとキリが無い。併し唯、鳥渡考えるに、多分落語家という職種は非効率的なものに属するのではないかという様な事を思ったりする。

以前、私はさる落語家を酷評した知人(当時六十歳)の言い分を、これまた或る落語家さんに言って、どう思うか?と訊ねた事が有る。
そしたらこの落語家さん、即座にキレた。
知人に対してと云うより、私に対してだ。
爾来其の落語家さんとは絶縁状態となっているが、余りに堪え性の無いヒトだと思ったものだ。
此の人一人を以って落語界全体がそうだとは言えまいが、落語家で得られる人間性というものは、どうも様々な一般の職種で揉まれて得る人間性よりも、数値で表せればの話だが、量的に尠いものなのではないかというイメージを持ってしまったのも否めない。

さて、それで思い出したが、全く関係無い話である。
と或る霊能者が、
「人間は最終的に神に近付こうと修行をする。その霊性向上に最も効率的なのが、この人間界で揉まれる事なのである」
と、概略斯様な事を言っていた。
仏教で言えば修行して「仏=如来」になるという事がそれなのだろう。
如来の持つ能力の一般的なイメージは、「全て御見通し」「やる気になれば自然の法則も無視した奇跡を起こせる」みたいなものではないか。つまり神に最も近い存在とも考えられる。

神は凡そ160億年前、真空のゆらぎから大爆発を起こしてこの宇宙を作りたもうた。私には何のこっちゃ解らない。物理学者は理論的には理解出来ようが、実際にどうやったらそんな事が出来るかは解らんだろう。
初め宇宙には光しかなかったらしいが、其処に電子が生まれ、クウォークが生まれ、更に様々な素粒子が出来上がっていって、そこに重力やら電磁力やら色々な「力」が働いて今の宇宙の様な形を形成する。その結果人間が発生し、神や仏に近付こうとする。人間が発生したのは神に近付いていく様成長させる為に神が計画した事なら、これは宇宙創世の時から今に至る迄の、様々な物理現象が元々計算ずくだった事になる。
重力の度合い、光のスピード、素粒子の質量等の物理法則、更には遺伝子変異の偶然性等々、どれひとつ狂っても、今の人間は居ない筈だから、それらを神は全部緻密に計算して居た訳だ。
更に、全宇宙の質量がどれ位か知らないが、譬え1gの質量を作るにしても、電力に直して2500000kwhの熱量が要るという。言い換えれば1000whの電気ファンヒーターに2850年間(損失分を含めてか?)送電し続けないといけないらしい。これから考えると、地球一個を作るにしたって相当な熱量が必要な筈であるが、神は全宇宙の質量を調達したワケだ。
私にはどうやったらそんなことが出来るか解らないし、科学者だって出来ないだろう。

是だけの事をするのが神であって、夫れに近付こうとするのが人間。で、
「神に近付く為には人間界で揉まれるのが一番いい」
というが、果たして人間界で揉まれるだけで、こんな事が出来る様になるのかどうか、甚だ恠しく感じてしまうのは私だけだろうか。
もっとハイレヴェルな修行をしないといけない様な気がするのだが如何だろうか。




  1. 2006/10/30(月) 00:36:21|
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馬鹿女

私の会社はビルの中の限られたスペースを借りて営業している。所謂間借り人であるが、こういう間借り人であっても外部から見ると、どうも味噌も糞も一緒で「ビルの関係者」=「ビルの管理責任を持つ者」と「ひとからげ」に見られる様だ。
併しそれは大きな間違いであって、繰り返すが我々は只の間借り人でしかないのだから例えばビル自体にエレベーターが無くとも勿論我々のせいではない。

乳母車を押して来た母ちゃん(二~三十代)が、「エレベーター無いんですか?」と訊いて来る。無いので「御座居ません」と答えると、
「じゃあ、どうやって上へ上がったらいいんですか!?」
となじる様な口調で詰め寄って来る。「?」ではなく「!?」である。
知らねえよ。俺等の所為じゃねえ、担いで登りゃいいやな。
こういう手合いは、「私共は此のスペースを借りて居る者に過ぎませんので」とか言っても、「何て無礼なのかしら!」と怒り出す。「上迄乳母車を運んでくれてってもいいでしょ!」ぐらいに思うのだろう。実際「運んでくれ」という奴も居た。
だが残念乍ら私共の借りてるスペースを一歩出たら他の会社、或いはビルの管理者の管轄であるので御免蒙りたい。

ビル内で落し物をしたと、女(三十代)がやって来た。
だが落し物として私達の許に届いている物は無い。その旨告げると、子供の様に口を膨らませ、顔を傾けて怒り出した。
何処で落としたか判らねえのに俺等のせいにすんじゃない!
其の上「何とかしてくれて然るべき」みたいな事を言う。
しょうがないので、ビルの管理室に電話して訊いてやったが、向こうにも届いていないという。夫れを言ったら亦怒り出した。
「ねえから、ねえから」言って宥めてたら諦めて帰ったが、バカか。何故話が通じんのだ。

ビル内のどっかで痴漢に遭ったという女(二十代後半・不細工)がやって来た。しかも言い方が、
「痴漢に遭ったんですけどっ」
と、殆どクレームを言いに来たかの様な口調だ。
「あんたらがしっかり管理してないから痴漢に遭った」
みたいに言う。
管理室に電話したら、
「直接警察に言った方がいいんじゃないんですかぁ?」
と、こちらに押し付けて来やがった。何で俺達が仕事そっちのけでそんな事しなきゃならん!?言い方も気に喰わねえ。
しょうがないから「警察に電話しますんで」と当人に言ったら、
「何分くらいかかりますぅ?」
と不貞腐れた言い方。ムッカアァアァ!知るか!警察に訊け!
で、警察に電話したら「これから行く」と云うので、当人にそう言ったら、「十分くらいですよね。じゃ、其の辺ブラブラして来ます」
と、どっか行っちめえやん・・。警察呼んどいてどっか行く奴があるか!
加えて、
「(痴漢に遭ったので)チョーやだぁ」
じゃあるか!!どっちがチョーやだだと思ってんだ気持ちわりい。




  1. 2006/09/09(土) 01:10:51|
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取立て

アイフルの取立てが問題になっている。
「手前ぇを潰すのなんざ訳ねえんだぞ。バーカ、バーカ!」
という脅し文句のアレである。
顔面の手前数cmの所迄顔を近付けて来て睨めつけられたという話もある。
同社を退職した女子社員の話では、同社男子社員同士で、どうやって脅したとかビビらせた等と云う自慢話に花を咲かせていたと云う。
詰まりは只のサラリーマン取立屋なんだろうが、脅す事に由って恰も背後に暴力団でも控えているかの様なイメージを与えようというのだろう。

確かに昔の「サラ金」なんてのは、本当に背後に暴力団が控えていたのかも知れない。併し実際、現代の一流企業たるアイフルの背後にも、今も暴力団は控えて居るのだろうか?
借り手の不安も其処に有るのではないか。
アイフルばかりではない。私の実体験だが、サンワファイナンスもそうだ。

私の借金ではないが、と或る事情でサンワファイナンスの取立屋が来た事が有る。
白いダボダボのスーツを着て、慇懃無礼な態度。
名刺を渡されたので、見るとサンワ○○店の「支店長」とある。
話があるからと、わざわざ自分の車に連れ込まれた。威圧感を与えようというのだろう。
私が諸般の事情で「法的に払う義務は無い」と主張すると、「では一万でケリを付けよう」という。

是より先、私は友人との雑談の中で、取立屋につけ込まれた人物の話を聞いていた。夫れに由れば、其の人物は矢張り「一万でケリを付けよう」と持ち掛けられたのだと云う。彼は「一万でケリが付くなら」とOKしたのだそうだ。
それが運の尽き。一箇所に一万支払った事に由り、借り入れのある全ての債権者に支払う義務が生じてしまった。其の人物は結局数百万支払う事になったのだとか。

「一万でケリを付けよう」と言われた時、咄嗟に其の事を思い出した私は「支払えない」と突っ撥ねた。
何だかんだ話した挙句、其の時は「後で連絡する」と取立て屋は帰って行った。

さあ、次の連絡が来る迄、こっちは不安でしょうがない。
弁護士に相談すれば、「一万払っても、夫れ以上請求されない様、一筆書かせれば良い」と言う。
併しヤクザ者を使って脅し掛けられたら、そんな約束は反故にされてしまうかも知れない。
親戚に、嘗て「組」を構えていた「其の筋」の者が居るので相談すれば、「何処の金融業者だ?サンワ?サンワだったら大したの来ねえから心配ぇすんな」
おいおい(^^;、どういうのが「大した事ねえ」んだか知らんが、そんなテキトーな・・。

そうこうする裡、こちらの肚も固まったので、先方に連絡する事とし、教えられた携帯電話に電話してみる。
プルルル、プルルル、ガチャ
「もしもし(私の名)ですが」
「(ドスを効かせて)ああ"?」
「いえ、あの(私の名)ですが」
「ああ"?あーあー、どーもどーもぉ」
といった対応。
客に教えた番号の携帯電話に着信が有ったのに、出方に事欠いて「ああ?」は普通有るまい。
恐らく携帯電話は二台用意されていて、一台は客用、もう一台は普通に使用する為のものであって、客用の方にはそうした出方をする様に決めてあるのだろう。

私の支払いがどうなったかは此の際どうでも良いが、この様にTVCMを流す様な会社でも、社員にヤクザ紛いの行動を採らせる金融業者は居るのだという御話でした。
皆さんどうぞ御注意を。



  1. 2006/04/24(月) 03:02:54|
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別に反面教師じゃないが

東横インの条例違反。社長の会見。正直でよろしい!
悪いとも思ってない癖に、俯いて「反省してます」を口にする様な嘘吐きより私は好きだ。大きに反省・後悔するんなら、初めから悪事など怖くて出来ん筈だ。発覚した後で「自分の犯した事の大きさに改めて驚いて・・・」なんぞと嘘吐け!そんな嘘吐くんなら、むしろ東横の社長みたいに自分の思った通りの事を言う方が気持ちいい(私は)。

だからといって条例違反はしちゃイカンのはイカンのだが、どうもニュースでの扱い方が、「対震強度偽造」なんかと同様の扱いなのが個人的に気にかかる。
「同様でいいじゃあねえか」
という意見も尤もだが、「人命に拘わる程の危険性」と「障害者への気遣いの無さ」を同日に論ずるのにも違和感アリ(私は)。

ニュースなんぞというのは、その公共性からか警察当局の威嚇の委任もあるのか「悪い事は悪い事。処罰は厳正にせんと無法社会となってしまう。」「悪事はバレると怖いんだよ。」という観点から報道されている様に感ずる。それはそれでいいだろう。チト中国共産党の中国国民への情報操作を彷彿させるが。
だが観てる方がそれに乗っかってどうする。
ネット上で「東横問題」を検索すると、社長の会見の内容に危機感を抱く様な一般の人々の見解が多く見受けられるが、誤解を恐れずに言うと、正直「東横問題」なんぞはニュースで観た時、「けっ、しょうがねえな社長も(苦笑)」程度の感想で終わる事じゃないのか。
それをわざわざ一般の人迄そんなに大騒ぎする事も無かろうと思うのだが。

TVニュースでそういう形で報道されると、どうしても観てる方は「酷い人」という印象を持ってしまう。
昔あったが、プロ野球選手が数人、麻雀やってて金を賭けたという話。
文章で書くとそれだけだが、ニュースでは恰も極悪人の様に報道されてた。法律上悪い事は悪い事だが、極悪人じゃないだろうよ。それがまるでレイプ犯の様な人非人的扱いだった。
例えば一般人が同じ事をしてても通行人に苦笑されて終わりだが、有名人が立小便してたのが発覚してニュースで報道されたらどうだろう。
アナウンサーが真面目な顔してこの事実を告げ、VTRで有名人の会見の様子が映され、反省・謝罪する有名人の姿が放映されれば、人々は麻薬不法所持の犯人と同レヴェルの極悪人と錯覚するかも知れない。

今回の「東横事件」では、条例違反があったのは事実であるから、社長は司法に処罰されて然るべきだろう。併し、身障者への冷たい態度が有る反面、一般客の利便を考えた行為である事も、一般人は考慮して好き嫌いを判断しても良いのではないかと思ったりする。
「わたしはあの社長をもう信用しない」という前に、「危険な状況に人々を追いやる」事をしたからなのか、「行政を騙して一般客に便利な様に造り替えた」からなのか、もうちょい熟考すべきではないか。

...続きを読む

  1. 2006/02/01(水) 01:57:22|
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選挙で「特定の党に入れる習慣」に縛られてる人達。

政策関係なしで票入れんなよ。
私は一度、ネッ友に「何処其処党に入れて」と言われて断った事が有る。其の事を憾んで書く訳ではない事をあらかじめことわって置くが、「特定の党に入れる習慣」に縛られてる人達がまた、「一人ノルマ何人」なんぞと決めて、知り合いに「誰それに入れて」「何党に入れて」なぞと言いに行くのがある。
中には殆ど脅迫紛いの「御願い」もあろうに、是が選挙違反でない事自体驚きだが、そんな風に集めた票で当選した人間が信用出来るか?
だって純粋に人気で当選したんじゃないんだよ?
候補者→少数の「知人」or「信奉者」or「利害関係者」→多数の無思想な人々
というピラミッド式の命令系統ならぬ「御願い系統」で集まっただけの票だよ?
私は他にも、親戚に「誰それに票入れたいから名前貸して」と言われた事が有るが、やっぱり断った。そんな見ず知らずの人間の為に俺の名前が出されたんじゃ気持ち悪くっていけねえ。
そういう悪習はやめないと、日本も進歩しないよ。
中身が滅茶苦茶な政策であっても、「是迄此の党に入れてたから」「頼まれたから」という理由だけで投票してたら、いつまで経とうが、野党が幾ら正論を主張しようが「、与党と野党の票の割合が変わらない。「日本も変わんねえかな」と期待してる人達も報われないわい。

思うに、頼まれて断れないから其の党に投票するんでしょ?
断れないなら「おう、いいとも。合点だ」とか言っといて、投票所では別の人間に入れたらいい。
誰が誰に入れたかなんて判りゃしねえやい。

向こうは「よし!これだけ票が集まりそうだから一安心♪」なんて言ってて、いざ開票されてみたら其の三分の一にも票が満たなかった・・・なんて事になったら愉しいぞ!
「あなたアレだけ御願いしたのに入れてくれなかったの?」
なんて訊かれても、「いやいや!俺は入れたよ!」とか言ってればいい。
飽く迄涼しい顔をしていて、他の候補に入れ続けたらいい。



  1. 2005/12/25(日) 01:53:54|
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過ぎたるは猶及ばざるが如し

チェーンで客商売をしている様な会社というものは、色々考えるものだ。
何を考えるかというと、「御客様の為」を根底に置いた「演出方法」であるのだろうが、其の実、一体「誰の為」で、「そうしたからどうなの?」という演出が多い。

主にこういうのを考える人間は、所謂「優秀店長」と呼ばれる人種であったり、或いは本部の営業課長やら部長であったりする。
前者は往々にして初めて任された店舗で好成績を挙げたのを機に、「自分はどんな店舗ででも売り上げを上げる事が出来るのだ」と思い込んでいるタイプ(事実そういう特殊な才能を持ち合わせてる人間も居るには居るが、売り上げと云うものは大方は立地や商品の量や種類の多さで決まるのだ)で、張り切り過ぎる余りに、常に「御客様の為」を念仏よろしく唱えて、終いには自己暗示の様になってしまい、
「休日だったので御客様の個人情報を基に、其の御客様の御自宅付近迄行ってみました。そして『嗚呼こんなに遠くからいらして下さってるんだ』と感動し、感謝の気持ちをまた仕事への熱意に変えるのでした。」
等というアブノーマルな作文をしたためたり(ストーカーじゃない?それじゃ)、其の日の接客で嬉しかった事やらを、わざわざ自分の「接客HP」で記事にしたりする人種が多く、後者の場合、「分析」と称して仕事もせずに会社で経済新聞を読み耽り、いいなと思った新聞記事を各店にFAXするなどという暇な事をしてみたり、デスクで鼻糞をほじくり乍らボケェっと、「売り上げを上げるには商品量や種類の多さではなく、接客だ(しつこい接客は嫌われるのに)、笑顔だ(笑うだけで客が来たら苦労無し)、清掃だ(其の前に店舗の壁やら柱がボロボロなのを放っとく癖に)!」
等と机上の空論を展開した挙句、
「御客様に商品を御渡しする時、『大切に使って下さいね』の一言を付け加えましょう。」
等と云う、どう考えても「余計な御世話」でしかない様な事を、命令文書として回覧させて来たりする人種なのだ。

扨、そうした人種が考えた「店舗での演出方法」が上層部で評価される(どういう基準で評価してんだ)と、全店同じ事をやらされるハメに陥る。
例えば、私が客として某古本屋チェーンに行った時、突如店員がマイク放送を始めた事が有る。
「本日は(会社名)○○店に御越し戴きまして誠に有難う御座居ます。只今当店では・・・(以下ウリ文句が続き)、どうぞ此の機会を御見逃し御座居ません様御利用下さいませえ」
其処迄言い終わった時、店内に分散している店員達が声を揃えて、
「御利用下さいませえ~!」
と復唱した。
これに一体何の意味が有ると云うのだろう?皆で復唱すると清々しいイメージになるとでも思ってんだろうか。単純に異様な光景でしかなかったのだが。
更に続けて、
「計算御待ちの○○様、計算が終わりましたのでカウンター迄御越し下さいませ~」
とアナウンスされた。
何の事は無い、古本を売りに来た客を呼び出すのに事寄せて「ウリを宣伝した」訳だ。併し此の手法では、何の関連性が有って「客の呼び出し」と「ウリの告知」を同時にしたものだろう?
更にこれによって得られる対客効果とでも云うべきものを、会社サイドでは「御客様もこれで御気分が宜しかろう♪」とでも思っているのだろうか?

亦、同古本屋では年末、「買った客にクジを引かせて当たったら割引券」みたいのをやってた様だが、それが酷い。
私が本を物色して居ると突如レジの方から、
「当たりでぇ~す!御目出度うございま~す!」
の声と共に、ベルやらパフパフやらの鳴り物の大音響。更にマイク放送で、
「今当たりが出たから、皆さんも買ってみてくれ。」
という様な意味のアナウンスが流れる始末。
冷静に考えると、カウンターに立っている「買ったら当たってしまった客」は身の置き所が無い位羞かしい思いをしているんではなかろうか。
目立ちたがりの人間なら知らず、尠くとも私なら、然も夫れが一人で買いに行ってたのだとしたら、当たるのが恐くて迚もの事にレジに商品など持っては行けない。
そういう「シャイな」人間が居る事も、そうした演出を企画会議にかける際、おエラ方は考慮しなかったものだろうか。

こういう過剰な(というより、それを通り越して意味不明になってしまった)演出によって得られるメリットがどの程度のものかという事は、そりゃ企業として実施する以上、或る程度予測してあるんだろうけれども、それによって失ってゆくものも係数として予測に組み込んであるのかどうか、其の一点が不明なんであります。



  1. 2005/12/25(日) 01:51:56|
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別に自分の経験談ではないが

「高ぇなあ。マケねえかい?」
「何ぃ?冗談言うない!これだけの鯛をマケろだと?手前ぇの様にものの判らねぇ客に売る鯛なんざ有りゃしねえや!おととい来やがれ!」
等という会話は、昔なら「何と無く有りそうな話」という感じも有ったが、現在では迚もの事に現実的な話だとは思えなくなって来ている。
上の例は些か極端に過ぎるやも知れんが、それにしたって最近の、客へ対しての「媚び・へつらい」の追求は、度が過ぎやしないか。

だが、それは企業側の姿勢であり、他社と差別化を図ろう意図の元に勝手にやっているだけの事であるから、別段文句を言う筋の話ではないし、やりたけりゃやらせておけば良い。
問題は・・というか、疑問に思うのは、それに慣れてしまった客の傲慢さ(?)から生じる「怺え性の無さ」である。

何処から何処迄を「怺え性が無い」と判断するかは人に依るから、こういう話をし出すとどうしても私の主観的価値観を基準に話を進めてしまう事になるが、ま、読み進んで戴こう。
例えば70年代、個人経営の古本屋に入ると、店の奥に座ってるオッサンは新聞を広げてコチラを一瞥するだけだったりした。
此処迄はいい。例えば其の後、本の事を訊こうとしてオッサンに話し掛けると、ぶっきらぼうを通り越して、半分怒った様な口調で面倒臭そうに応対されたとしたら、これは頭に来る。

「コチラを一瞥しただけ」である事は、気分良くは無いが、ほぼどうでも良く、其の後「横柄な態度を取られた」事に腹を立てるというのは、尠くとも私の年代の男であってみれば、そうそう変な事でも無い様に思われる。
「コチラを一瞥しただけ」に腹を立てぬのは、「それが一般に広く有った事」であるからで、慣れているからだろう。

ところが現在は、「横柄な態度を取られた」等は言わずもがな、「コチラを一瞥しただけ」で「いらっしゃいませ」を言わない事で既に腹を立てる「怺え性の無い」奴がある。
先にも言った様に、そもそも企業側が「いらっしゃいませ、今日は」等と言い出したのは、客に媚び・へつらって「ウチを贔屓にして貰おう」とのコスイ考えから出たものであり、客の方から求められて始めたものではない。
随って客は、そういう企業の態度が気に入れば再度当該店舗に出向けば良いし、それがうざったかったらもう行かなければ良いだけの事なのであるが、「いらっしゃいませ」の後に「今日は」を、然も笑顔で大きな声で言うのが一般に定着してしまうともう、そうでなくては「自分が疎かにされた」という被害妄想を抱くに至り、結果、当該店舗の本部等に「あすこの店では何時行ってもいらっしゃいませを言われない」等という苦情を持ち込んだりするのである。

あんなに気持ちの籠ってない「いらっしゃいませ」が、そんなに嬉しいか?亦は「いらっしゃいませ」を言われないと我慢ならないか?
何時からそんな我儘になってしまったんだキミは。
甚だしきは、「あすこの店は元気が無い・活気が無い」等という申し立てをする奴があるが、なんじゃそりゃ?
元気が無いのが気に入らなければ行かなけりゃいいだろう。それをわざわざ本部に訴えを起こし、改善して貰って迄買いに行きたいのかキミは。
元気が有る様に見せかける事に成功しているかどうか。それを遵守しているかどうかをチェックし、且つ其の事自体が企業の方針としてどうか(例えば洋服屋なのに八百屋の様な大声出していいのかとか)という是非を云々するのは本部のエライさんのする事で、貴方は只単に「それが自分の気に入るかどうか」を判断して、数多有る小売店舗を取捨選択すれば事足りる話だろうに、何で一体そんな事を一々チェックして廻らなければ気が済まなくなってしまったのだ?
大体元気が有って嬉しいのか?「あすこは元気が有っていいから買いに行こう」等と云う判断基準を本当に設けているのかキミは。
そりゃ常軌を逸した険悪なムードが漂っているよりはいいか知れないが、基本的には、私なら店の「綺麗さ」と「品揃え」で店を選ぶが。

話が逸れた。
先の古本屋の主人の態度で此の世の中を生き残っていけるかどうかは我々にはどうでも良い。自然淘汰されて閉店に追い込まれても、それは自分の選択の結果であるから、消費者が云々する必要は無い。それと同じで、何度も言うが、店が気に入らなかったら行かなきゃいいだろう?それを何故わざわざ本部に「改善要求」という形で意見したりするのだ?
「大きな御世話」プラス「意地悪して脳内麻薬物質に酔う野蛮人」以外の何者でも無い行為でしかないな。

「意地悪」という訳は、こうした世の中だと企業側としても「御客様が白と言えば、黒も白」的姿勢であるから、客がどんな些細な事でも、有る事無い事本部に言い立てれば、本部としても何らかの処分を当該店店長に対して取らざるを得なくなる。それを逆手に取った手段であるという意味でである。

電子メールという手段が発達した現在、こうした「讒言メール」は後を絶たないというから、企業としてもイチイチ本気にはしないだろうが、それでも名指しで苦情が来た店舗にはそれなりの対応をするだろう。
人間、どんな些細な文句でも、面と向かって<苦言>をされれば嫌な思いもする。況んや気にする性質の人は、それで禿げたり、胃に穴が開いたりするかも知れない。
たかだか「自分が気に入らなかった」だけの事で、こうした結果を引き起こす事を想定して讒言に及び、脳内麻薬の悦楽に浸るなんというのは、テクノロジー面は言うを俟たず精神面での発展をも求めて来た人間の、是迄の功績に逆行する原始的衝動であると言えよう。



  1. 2005/12/25(日) 01:51:15|
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嫌いな理由

「子供好きぃ?」
とか訊かれる事が有る。
「嫌い」と答えると、当然其の理由を聞きたがって来る。
「自制心が極端に弱いから」
と答えてやると、必ずと言っていい程、小莫迦にした様に、
「当たり前じゃん!」
と来る。当たり前だから何だ。だったら訊くな!
ほんじゃ何か?
「納豆が嫌いだそうなが、なにゆえ?」
「臭いから」
「当たり前じゃん!」
か!?
普通、臭いのがイヤなんじゃないんかい?え?じゃ、納豆の形状が気に入らんとでも言えば気が済むのかい?

或る特定の物事を嫌う理由と云うのは、往々にして対象となる物事の「際立った特徴となる部分」が気に入らないからではないのか。
仍ち「当たり前」な特徴が「嫌い」となって当然と言える訳だ。

実際の所、情け無さそうに「納豆の匂いが好かないんだ。」と述懐すれば、「ああ、あの匂いねえ・・。」と同情を匂わして来る位のモンであろうが、これが殊、子供の事に成ると、「其の大きな特徴」が嫌いである事を、世間は認めたくないらしい。
飽く迄子供の「自制心が極端に弱い」部分が嫌いである事を声を大にして主張し続けたとしたら、世間の当方を見る目は恰も人非人を見るが如きものになるだろう。

だがひとつ考えてみて欲しい。自分が嫌いなものを幾つか挙げて、その嫌いな対象を生物と無生物に振り分け、其の中の特定の生物が嫌いな理由と、特定の無生物が嫌いな理由とで、根本的に同じ論法が当てはまる対象同士が有るか無いか。
そりゃ一見理由は違うだろう。「あいつは自慢話が多くて嫌いだ。」というのと「あの石は角が多くて嫌いだ。」というのとでは。
併し、此の場合は先に言った様に、「対象の大きな特徴が嫌い」であるという点で共通の理由とは言えまいか。(他にどんな共通の理由が有るか探してみるのも楽しいぞ!)
人間の判断基準とは根本の所ではそんなものではないのか。自分も同じ理由で好き嫌いを言っていないか考えてみよう。
エラそうに人の嗜好を責めるべきではない。



  1. 2005/12/25(日) 01:50:30|
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